四天王は仏教に於いては帝釈天・梵天と共に須弥山の上部である天界の四王天に住み、仏法の偉大な
梵語名をチャタスラ ラージカー(catu rmahārāja)と言い発生は古代インドの土着信仰に於ける方位の守護神として信仰されていた神であり、その歴史は古くBC二世紀頃にはパールハットに存在している,古代からインドに於いて旅立ちの神とも言い、現在に於いても四天王信仰はヒンドウー教にも引き継がれているが、後期密教が主流のチベット仏教では十二天信仰(注3)に押されて姿を消している、また中国(注4)に於いてはシルクロードの西玄関口である敦煌等(注5)
「
四天王信仰の興隆は広嗣の乱や禁裏内の陰謀等に懲りた聖武天皇の国分寺政策で金光明経に記述されている国家鎮護への期待が伺える。
東大寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」であり全国に作られた国分寺の名称も同じ金光明四天王護国之寺を呼称している、典拠となる金光明経は法華経・仁王般若経と共に”護国三部経”に数えられている、この中で金光明経の「四天王観察人天品」「四天王護国品」などの特筆されている。
インドに於いては貴人姿で顕された、中国に伝わると武人姿になり四方神に変化を見せる、四天王は釈迦の説法を聞き佛教に帰依し釈迦から入滅後に法を守護するよう託された、表現としては多聞天のみ独尊で著されることが多い、他の三尊は群を為す中の一尊として扱われる程度であった。
須弥山の頂上の宮殿に住む帝釈天の部下として自身も
*チャタスラ マハー ラージカー (caturmaharaja) 四方を守護する優れた王を意味する。
方位 |
尊 名
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梵 語 名 |
色 |
音訳名 特徴 |
東門 |
持国天
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dhṛtarāṣṭra ドリュタラ―シュトラ 上賢城 |
青 |
尊愛とした
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南門 |
増長天
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virūḍhaka ビルーダカ 善見城 |
赤 |
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西門 |
広目天
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virūpākṣa ビルーパークシャ 周羅城 |
白 |
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北門 |
多聞天
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vaiśravaṇa ビャイシュラバァナ |
黒
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* 須弥の四洲とは
*多聞天は仏教に取り込まれてから四天王の中心的な存在となる、
毘沙門天は佛教成立以前からインドの土着神であり四天王の内でも特別視されていた、財神クベーラと同一尊で財宝神から武神に変化しには8世紀中盤西域の安西都護府が攻撃された折り不空三蔵の祈祷で毘沙門天が現れ撃破したと言う伝承以来とされる。
日本に於いて四天王信仰は飛鳥時代からあり聖徳太子が物部守屋との戦いで戦勝祈願したとされるのが四天王であり、勝利の後四天王寺を建立したことが日本書紀に記録されている、しかしインドに於いては戦闘尊では無く多聞天に代表される蓄財・財宝尊として信仰された。
四天王信仰は国家の繁栄や安泰の祈願さらに金光明最勝王経の呪術的な祈願などが行われ様になり須弥壇の四方に置かれるようになった。
姿形としては一面二臂で怒りを表し、衣と甲冑をまとい中国の武将形をして邪鬼・鬼座の上に乗る。
本来佛教神ではない為に儀典には記述されないが、一部は「陀羅尼集経」や「諸仏境界摂真実経」に記述があるようだ、インドに於いては菩薩形に近い貴人として造像されたが、中央アジアから中国において武人の姿に制作されるようになり我が国では憤怒相で威嚇している姿に造像された。
持物は様々であり剣・鉾・戟・巻子・宝塔・宝棒等を持つが広目天は巻子と筆を多聞天は宝塔持つ場合が多いが、チベット等に伝わる持国天は琵琶を手にしている様に定めはない、また総てではないが身の彩色(身色)で判別されることもあり、前述の守護門の箇所に色を書き加えた。
また四尊をまとめての信仰であるが例外的に毘沙門天(多聞天)だけは独尊で信仰されている、たとえば法隆寺・金堂には独尊の毘沙門天が置かれる他に四天王が安置され北方には多門天が置かれている。
日蓮宗に於いて四天王の重要性を知らないが、宗定本尊すなわち日蓮奠定の十界曼荼羅には中央の題目と同程度のサイズで左上から時計周りに・大持国天王・大広目天王・大憎長天王・大毘沙門天王と記述されている、日蓮の作とされる「臨滅度時の本尊」等々は二尊四士の二尊、多宝如来、釈迦如来よりも扱いが大きい。
四天王は大般若経を守護する十六善神(注6)に加えられている、但し尊名に相違があるが同尊である、・提頭擺宅善神(持国天) ・毘廬勒又善神(増長天) ・吠室羅摩拏善神(多聞天) ・毘廬博又善神(広目天)となる。
飛鳥時代から平安時代中期まで栄えた崇拝も次第に衰えていったが芸道・武等集団などの優れた人材を四天王と呼ぶ習慣が残った。
また多聞天以外には個別信仰は少ないが持国天は国を支える・増長天は五穀豊穣・広目天は佛心及び悪の処罰・多聞天は福及び護法等の力を持つといわれる。
四天王に奉仕する衆団に八部鬼衆と言われる鬼の衆団がある、八部鬼衆とは・乾闥婆・摩醯首羅・鳩槃荼・薛茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹が言われる。
2000年現在国宝・重要文化財指定200組の内4尊揃う所は約50箇所あり奈良県16箇所・滋賀県6箇所・京都府5箇所であり平安時代の作品が大半を占める。
内複数所有寺院は法隆寺6組・興福寺4組・金剛峯寺 延暦寺各2組となる。
注1、 四天王の名前を記憶するのに「じぞうこうた」(東より、持国天(じ)・増長天(ぞう)・広目天(こう)・多聞天(た))と記憶すると良いと入門書にある。
注2、 四天王の多聞天と毘沙門天は同尊であり単独で祭られた場合を毘沙門天と呼び四尊セットの場合は多聞天と呼ばれる、但し例外もあり日蓮宗が本尊として常用する髭曼荼羅すなわち法華曼荼羅(日蓮奠定十界曼荼羅)の四天王では毘沙門天と記述されている。
注3、 十二天 ・帝釈天(東) ・火天(東南) ・閻魔天(南) ・水天(西南) ・風天(西北) ・毘沙門天(北) ・伊舎奈天(北東) ・梵天(上層) ・地天(下層) ・日天(太陽) ・月天(月)の八方と上下及び太陽と月を守護する。
注4、中国の寺院に於いては東から・持国天王 ・増長天王 ・広目天王 ・多聞天と言う呼称で多くの仏教寺院に奉られている。
注5、敦煌莫高窟 中国の三大石窟とは、雲崗石窟(河北省)、竜門石窟(河南省)、敦煌石窟(甘粛省)を言う、が麦積山(陜西省)を加えて四大石窟と言う、他に大足石窟(四川省)が知られ中国全土に分布している。
注6、十六善神 大般若経を守護する神で四天王を含む十六神で梵天・帝釈天を含め十八善神とも言われる。
主な四天王 表内は国宝 ●印国指定重文
寺 名 |
仕 様 |
時 代 |
法隆寺 (金堂) |
立像 木造彩色 133,3~134,8cm |
飛鳥時代 |
毘沙門天123,2cm 吉祥天116,7cm |
平安時代 |
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東大寺 (法華堂) |
立像 脱乾漆彩色 300,0~315,1cm |
天平時代 |
東大寺 (戒壇院) |
立像 塑像彩色 160,5~169,9cm |
天平時代 |
興福寺 (東金堂) |
立像 木造彩色 153,0~164,0 cm |
天平時代 |
興福寺 (南円堂) |
立像 木造彩色 197,2~206,6 cm |
鎌倉時代 |
興福寺 (北円堂) |
(当初は大安寺所蔵) 134,5~139,1 cm |
平安時代 |
立像 木造一部乾漆 185,0~188,5 cm |
平安時代 |
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立像彩色 木造彩色(草槙材)171,8~197,9 cm |
平安時代 |
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兜跋毘沙門天 木造(桜)彩色漆箔・練物盛上 189,4cm 瑞像 |
唐時代 |
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立像 木造彩色 167,0~169,7 cm |
藤原時代 |
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臼杵市 |
多聞天 菅尾磨崖仏 |
平安時代 |
中尊寺 |
持国天3尊 増長天2尊 |
平安時代 |
●法隆寺(講堂) 立像 木造彩色 194,8~204,0cm 平安時代
●法隆寺(伝法堂) 立像 木造彩色 91,9~102,8cm 平安時代
●法隆寺(新堂) 立像 木造彩色 109,2~110,5cm 平安時代
●法隆寺(上堂) 立像 木造彩色玉眼 167,2~173,5cm 平安時代
●興福寺(金堂) 立像 木造彩色 198,0~204,5cm 鎌倉時代
●東大寺 木造彩色 玉眼 86,2~89,5cm 鎌倉時代
●大安寺 立像 木造彩色 135,0~148,9cm 天平時代
●円成寺 立像 木造彩色 108,0~116,7cm 鎌倉時代
●金剛峯寺 木造 彩色 132,4~138,2cm 鎌倉時代 (快慶作)
●金剛峯寺 立像 木造彩色 82,2~86,7cm 平安時代
●長岳寺 二尊 (増長天 185,0cm・多聞天187,0cm)木造彩色 鎌倉時代 大神神社の神宮寺、大御輪寺から移された二尊である、因みに十一面観音は聖林寺に、地蔵菩薩は法隆寺に移されている。
●西大寺 立像 銅造(多聞天木造)221,4~236,3cm 持国天 ・増長天 ・広目天 ・鎌倉時代 ・多聞天 室町時代 邪鬼は天平時代 金銅製の四天王は本像のみ。
●当麻寺 立像 脱乾漆 持国天219,1cm 増長天217,6cm 広目天221,2cm(多聞天・木造217,6cm 鎌倉時代)白鳳時代
●当麻寺 立像 脱乾漆 白鳳時代(多聞天は木造・鎌倉時代)
●広隆寺(霊宝舘)多聞天 立像 木造彩色 藤原時代
●広隆寺(霊宝舘)持国天・広目天・増長天 立像 木造彩色 鎌倉時代
●仁和寺(増長・多聞天二尊)木造彩色 鎌倉時代
●清凉寺 立像 木造彩色 138,0~141,0cm 藤原時代
●石山寺 立像 木造彩色 藤原時代(広目天は無い)
●市場寺(上野市) 立像 149,0~152,6cm 平安時代
●称名寺 増長天立像 木造彩色 藤原時代
●延暦寺 木造彩色 154,2cm~160,0cm 藤原時代
●六波羅蜜寺 木造 169,7cm~179,4cm 藤原時代 持国天は鎌倉時代
●善水寺 木造彩色 145,0cm~150,6cm 藤原時代
●浄瑠璃寺 木造彩色 167,0cm~169,7cm 藤原時代
●観世音寺 木造 224,0cm~236,0cm 藤原時代
●禅定寺 木造 157,6cm~163,9cm 藤原時代
●黒石寺(岩手) 木造彩色 157,8~169,3cm 平安時代
●善水寺(滋賀) 木造彩色 145,0~152,5cm 平安時代
●勝常寺(福島) 木造 120、6~132,7cm 平安時代
●願興寺(岐阜) 木造彩色 257,6~271,5cm 鎌倉時代
●
●横蔵寺(岐阜) 立像 木造彩色 80,7~83,8cm 室町時代
●普門寺(愛知) 木造彩色 170,3~178,8cm 平安時代
●万福寺(大寺薬師)木造素地 182.4~193.0cm (出雲市東材木町416) 平安時代
●耕三寺 木造漆伯 134.4㎝ 平安時代 (広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2) 持国天
●宗安寺 二尊 木造彩色 持国天163.0㎝ 鎌倉時代 増長天135.0㎝ 藤原時代 不動明王の脇侍142.7㎝ (高知市朝倉宗安寺)
Caturmahārāja