大日経と金剛頂経、略して金胎すなわち金剛頂経、大日経の両経を「両部の大経」と言う、両経以前の密教は哲学及び修法的にも呪がテーマであったが、両経以後は成仏を目指す経典に変更した。
両部の経典は大日如来(毘盧遮那仏)の仏徳を説く経典である、また真言宗に於いては”最秘最尊”として扱われ、真言宗と言う呼称の源となった経典でもある、即ち大日経の「真言法経」・金剛頂経の「真言陀羅尼宗」の記述から採られている、宗派名だけでなく教義に於いても空海の著述を含めて根幹を為し、真言密教の
密教、特に東密(真言宗)の場合は五部秘経・二論とされ五部秘経すなわち大日経・金剛頂経・
両部(界)曼荼羅のうち胎蔵界曼荼羅は大日経を典拠としており、金剛界曼荼羅は金剛頂経を典拠として絵画化して成立している。
大日経は三句すなわち①菩提心を因とし、 ②大悲を根とし ③方便を究竟となす、と説かれておりこれが胎蔵界曼荼羅は三句を図像化されたと言う。
密教の分類方法に純密(正純密教)と雑密(雑部密教)とに分けられるが「両部の大経」は純密に入り、その他の経典すなわち
経典の成立時期が七世紀初頭(大日経)と中期以降(金剛頂経)との違いがあり、成立した場所も異なる、インドでは胎蔵界曼荼羅については断片的にしか知られていない、したがって成立当初には関連は無きに等しかった、要するにインドに於いて大日経は金剛頂経が生まれるまで利用された程度で金剛頂経に凌駕されていた、従って両部曼荼羅の呼称はインドやチベットに於いては無いと言える、両経には時代や地域に相違があり関連は見られない、相違点として凡てではないが大日経は智法身であり衆生の視点から仏界を述べており、金剛頂経は理法身で大日如来の世界から穢土を俯瞰している様にも見られる。
中国に於いては善無畏が716年法華経を凌ぐ教えとして「大日経」の解釈書として「大日経疏」を洛陽に於いて著した時を嚆矢とする、さらに720年金剛智により「金剛頂経」が海路長安にもたらされ即身成仏が理論的に可能な真言宗の根幹経典である。
接合(不二)不可能な二律背反の両経を強引に両部不二と決めつけた理論の両経(曼荼羅)を一体化し体系を理論化したのは恵果である。
その付法を受け踏襲したのが空海である、両部不二の思想は恵果による理論を空海が日本に於いて広めた哲学でインドやマントラ仏教すなわち後期密教のチベット等には考えられていない、中国に於いて漢訳された経典は原典に比較的忠実なチベットとは比較出来ない程に改変されている、正木晃氏は特に不空の漢訳は甚だしいと言う、例えば「文殊師利菩薩根本儀軌経」では原典には無い国王守護や父母への忠孝を加筆したり、国家体制確立を狙った「
覚りの真髄を解くとされる大日経と実践を解く金剛頂経の両経を両部の大経と言い、密教に於ける最も重要な経典として、「
不二に付いて正木晃氏の指摘から観れば、金剛頂経に不足している論理的思想を大日経(特に住心品)に於いて、恵果から空海の流れの中で両部不二の理論付けを補足しているのかも知れない、また金剛頂経は辛うじて大乗仏教の範疇に留まっていると言う、と言う事は以後の後期密教タントラ(tantra)は利他行即ち大乗から逸脱して内面にスタンスを移した密教と言えよう、また「
タントラの日本語の意訳であるが正木氏は「連続」「相続」が有効らしい、タントリズム(Tantrism)
頼富本宏氏はインド密教(春秋社)の中で「大日経は種々の点で大乗佛教の菩薩道の流れを引く
国宝の「両部大経感得図」179cm×143cm平安時代は藤田美術藤館に存在している。
下述の大日経で述べるが特筆すべきは大日如来の呼称であるが、漢訳に於いては金剛頂経では金剛界毘廬遮那(一切如来sarvatathāgata・五智如来)とされており、大日如来の記述は大日経に於いても数か所使用されているのみで多くは毘廬遮那が呼称されている、因みに中国に於いては毘盧遮那如来及び遍照如来と呼称されていたと言う、従う菩薩に付いては大日経では執金剛・文殊・普賢・地蔵・虚空蔵など旧来からの名称を踏襲しているが、金剛頂経に於いては金剛法・金剛利・金剛宝菩薩等に変化している、大日の呼称は理趣経に於いても観られず「
日本に於いて佛教と習合した宗派に修験道がある、修験道は古来よりの山岳信仰(神道)、道教などと習合しているが最も重要な部分を密教すなわち両部の大経から影響を受けている、一例を挙げれば勧進帳に於ける安宅の関での富樫左衛門の尋問に対して弁慶の答弁は両部の大経に関連している。
両部の大経に蘇悉地経を加え”胎金蘇”即ち「大日三部経」「真言三部経」「台密三部経」と言う呼称がある、但し真言宗は即ち両部の大経を”
密教の修行法に瞑想法がある、大日経に基ずく胎蔵の瞑想を「
金剛頂経の著者、津田真一(春秋社)氏に依ればcriticality(危機的 クリテカリティー)状況を3項目挙げている。
①大日経と金剛頂経とはcriticalである。
②大乗仏教と密教はcriticalである。
③利他行(大乗)と瑜伽仏教(上座部系)はcriticalであると言う。因みにcriticalを二者択一と訳されている、以上を以って三層関係を形成すると言う。
大日経
正式な漢訳名は「
大日如来と言う尊名を最初に記述した経典である、空を密教に取り込んだ経典であり数ある密教経典の内で知名度はトップの経典である、理趣経と同じく法身仏すなわち「沈黙の仏」であるはずの廬遮(舎)那仏(大日如来)が説いたとも言われる経典である、沈黙の仏との仲介として金剛薩埵が重要な役割を担っている。
空海最大の力作と言われる「秘密曼荼羅十住心論」すなわち「
大和の久米寺に存在したとされこれを空海が読み唐留学を決意させた経典とされる、正式名称は「
この経典は日本など漢字圏に於いては略して「大日経」で通用するが、アジア圏以外に於いては大日経の呼称は無い、毘盧遮那と言う尊名の一部分を大日如来とした善無畏等の訳が知られる為である、内容的には教義を説く教相と儀式や行法を説く事相に分けられている、全六巻三十一品及び七巻目に供養法で構成されている、初品(住心品)以外は非公開で師資相承が受け継がれていた、純密成立の触媒と言える経典で西インドを嚆矢としている密教の根本経典の一典とされている、これを図解したのが胎蔵(界)曼荼羅であるが華厳経との関連は深い、この経典の文章で伝授出来ない智慧を図示化したのが胎蔵生曼荼羅である、胎蔵曼荼羅の正式名”大悲胎蔵生曼荼羅”に関して「諸尊に三種の身あり、所謂 ・字と・印と・形像なり」 とある、すなわち・種子・三昧耶形・尊形である。
大日経の根幹すなわちキーワードは「三句の法門」にある、菩提心にあり一章入真言住心品「三句の法門」即ち”1.菩提心を因となし”、 ”2.大悲を根となし”、”3.方便を
特に真言宗で大日経の内で毎日称えられている偈に”
梵語の原典が存在しない為に経典の成立時期は定かには出来ない、漢訳は善無畏と弟子で天台教学の碩学で法華経にも精通した一行に拠る大拘廬遮那成仏神変加持経であり、七巻三六章の内、六巻三一章の嘱累品・七巻五章の供養法も要諦とされる、八世紀頃にインドに於いては金剛界曼荼羅に凌駕され消滅に近い状態にあったと言う、注釈書として唐に渡来した善無畏とその弟子の一行訳を基本として復旧させた「大日経疏」を真言宗が採用し、善無畏の孫弟子の
空海の「秘密曼荼羅十住心論」は大日経疏を原点とされる、要するに一行の大日経疏は1~6巻であるが、一行の死後弟子の智儼達が7巻を著した、7巻は法華経色が強い為に天台宗に採用され胎蔵界曼荼羅は第2章入曼荼羅具縁真言品と第8章転字輪品、第11章秘密曼荼羅品に記述されているが経典と現図曼荼羅とは尊数や呼称に相違がある。
大日経を典拠とした曼荼羅は他にも存在し円珍請来による「胎臓図像」「胎臓旧図様」などがある。
梵語名ヴァイローチャナの場合、毘盧遮那佛を大日如来と漢訳された事により、インドに於いては大日経の直訳呼称は普遍的ではない。
大日如来の呼称に付いては金剛頂経に於いて毘盧遮那佛と呼ばれており、大日経では数か所で大日如来と訳されているが、大部分は毘盧遮那佛と訳されて、訳名は併用されている、梵語名はvairocana(ヴァイローチャナ)「輝かしい」と言う意味であるが大日経の中で毘盧遮那の一部分を大日如来と翻訳したのは善無畏(637~735)と弟子の一行(673~727年)であり、大毘盧遮那成仏神変加持経疏・から大日経義疏が出されて大日如来が日本では普遍化する。
ちなみに大日経で呼ばれる大日如来の呼称には「胎蔵大日」とか、特にインド、チベットでは明確に知るとされる意味合いから「
大日経はインドに於いては支持が少なく下述の金剛頂経が起るまでの命運であり、中国に於いて一行~恵果の時代まで消滅状態とされた、しかし近年発掘されたインドのパーラ朝(8~12世紀)の金剛界五智如来(五仏)に混ざり胎蔵の大日如来も独尊で散見出来る、一行の大日経䟽では毘盧遮那仏すなわち大日如来の関連を「
大日経は「一切智智」を強調しており顕教とは同一でないが空を説いている、即ち後述の金剛頂経と違い、空の残滓があり大乗仏教の範疇に納まっている。
初期密教から大日経へのパス(path)は直接でなく、チベット大蔵経に記述がある「金剛手灌頂タントラ」が言われる。
金胎両部の曼荼羅の内で胎蔵生曼荼羅は金剛界の智に対して理を言う、理は「
胎蔵生曼荼羅の意味に付いては大日経に記述があり、金剛手秘密主の仏への質問の回答としてとして「諸仏を
大日経は理論編と実践編に分かれており理論編から作られたと言う、
日本に於ける衆生信仰の三大尊に・観音菩薩・地蔵菩薩と共に不動明王があるが、「不動如来使」であり尊挌として視た場合明王は菩薩よりランクは低いが胎蔵界曼荼羅すなわち大日経では重要尊として扱われている。
大日如来の眷属とも言える不動明王に関する記述は大日経の「具縁品」「息障品」に著される、真言は三種(慈救呪・一字呪・火界呪)あるが、多く使用される真言は「
閑話休題、密教に於ける根幹に即身成仏と金胎不二があるが、津田真一氏は大日経の体系は即身成仏を拒否すると言う、大日経の真髄は白蓮(puṇḍarīka)の心(hṛdaya)すなわち心蓮に在ると言われる「内心妙白蓮 胎蔵正均等‐‐‐従此華台中 大日勝尊現」(大正18、六下)(仏像思想論・大蔵出版)、但し正木晃説に依れば善無畏は顕教の修行では三劫を要するが、密教の修行では生涯の内に成仏可能としていると言う。(正木晃著・密教・講談社)
構成の概略は第1巻入真言門柱心品 から第6巻嘱累品第31、第7巻真言事業品第5まで36節までとなる。
初期の密教から大日経の成立まで紆余曲折があったが、「
頼富本宏氏はインド密教(春秋社)に於いて、玄奘は大唐西域記で密教記述に関心がないか、意図的に無視したか不十分と言われる。
金剛頂経(Vajraśekhara Sūtra/Tantra, ヴァジュラシェーカラ・スートラ/タントラ)
大乗仏教の純密教部的な経典で南インド地方に於いて起った経典で、真言密教に於いて大日経を遥かに凌ぐ最高経典とされている、真言密教では金剛頂経の名で知られているが、
金剛頂経は十八会十万
南インドで起り教理の実践をとく経典である、膨大な経典とされるが金剛頂経の中で日本で受容されている経典は密教の創始者の一人龍樹(龍猛)の作と伝えられる経典である、不空訳で空海が請来した「金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経」三巻がオールマイテイー(almighty)と言える。
金剛頂経の根幹は即身成仏にある、顕教の成仏までの時間軸は劫(kalpa・カルパ)であり菩薩から三劫、五劫or五十六億七千万年の利他行を要する時間から、一気に真言・五相成身観等で成仏しており大乗仏教枠からも飛び出している、更に善無畏は時間軸ではなく妄執(迷いによる執着)と異質解釈した。
密教の根本経典の一典でこれを図解したのが、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」からの金剛界曼荼羅であり、金剛界曼荼羅に登場する三七尊の即身成仏の過程を示した所謂悟りに到達する為のマニュアル書で「受法者の資格」「壇」「灌頂」「作曼荼羅法」念誦」等があり、智・即身成仏等を説いている、不空による漢訳や金剛智の「金剛頂経義訣」が伝えられる、また円仁請来の「略出念誦法」がある、即身成仏に付いては大乗仏教が成仏までに三劫と言う無限大の期間を要するのに対して即身即ち娑婆に生きながらの成仏である、因みに三劫成仏とは菩薩が成仏するまでに必要とされる時間軸で三阿僧祇劫(asaṃkhya)(注7)と言い無限大と言える。
南インドで起り教理の実践をとく経典である、膨大な経典とされるが金剛頂経の中に於いて日本で受容されている経典は密教の創始者の一人龍樹(龍猛)の作と伝えられる経典である、不空訳で空海が請来した「金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経」三巻がオールマイテイーと言える。
密教の根本経典の一典でこれを図解したのが、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」からの金剛界曼荼羅であり、金剛界曼荼羅に登場する三七尊の即身成仏の過程を示した所謂悟りに到達する為のマニュアル書で「受法者の資格」「壇」「灌頂」「作曼荼羅法」念誦」等があり、智・即身成仏等を説いている、不空による漢訳や金剛智の「金剛頂経義訣」が伝えられる、また円仁請来の「略出念誦法」がある。
経典と曼荼羅の相違部分として初会金剛頂経の記述では一印会に於いては大日如来ではなく金剛薩埵になっている、一説には金剛界曼荼羅に金剛薩埵の存在場所として理趣会が設けられたとされる。
即身成仏の実践法すなわちマニュアルとも言える「五相成身観」(注1)が中核にあり、一切義成就菩薩すなわち釈迦の出家以前・菩薩時代を意識した部分がある、経典には一切義成就菩薩が覚りを開いて毘盧遮那成佛すなわち大日如来に成ったとされている。
1、菩提心を持つ「通達本心」 2、菩提心を清浄かつ拡大の「修菩提心」 3、菩提心を堅固にする「成金剛心」 4、佛性を会得の「証金剛身」 5、即身成仏の「佛身円満」が言われる。
ちなみに金剛界曼荼羅の典拠である初会金剛頂経は金剛智・善無畏・不空・施護の漢訳があり善無畏訳が円珍招来の五部心観となり不空訳等が空海招来とされる、円珍は空海が「金剛頂経開題」「教王教開題」を著すなど広義の金剛頂経(金剛頂経十八会)を重要視したのに対抗して初会金剛頂教を前面に挙げたと思惟される。
真言宗に於いては五部秘経の中でも最重要視されているが独立した経典ではなく膨大経典の中より抜粋された様で、不空が解釈的に翻訳したのが「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」であり、3巻・4部構成が金剛頂経で即身成仏の手法などがある。
金剛とは梵語の
vajra(バジュラ)でヴエーダ聖典では雷を意味する、インドラ神の武器で金剛杵を言い金属の堅固・剛毅・強いと解釈されている、大漢和字典には「五行の金の気、剛毅から剛」とありインドラ神は仏教に取り入れられて帝釈天となる、因みに金剛と言うタームは密教以前から使用されており、密教以外の経典名すなわち中国禅宗が依経とした”金剛般若経”などが挙げられる、また天台・真言・三論・法相宗等でも愛用された、金剛般若経とは正式名称を「金剛般若波羅蜜経」(Vajracchedikā-prajñāpāramitā Sūtra, ヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)と言い、更に省略して金剛経とも言う。
金剛杵は金剛頂経から派生した後期密教の必須アイテム(item)である、古来伝承ではインドラが金剛杵で魔神を退治したと言い金剛杵は雷を起す武器である、種類は多様で刃先が一本~五本(チベットでは九本もある)あり独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵とあり武器で無い宝珠鈷杵・塔鈷杵。等を合わせて五種杵と言う、金剛薩埵が通常所持する金剛杵は方便を金剛鈴は智慧を表現する。
また東大寺に存在する著名な執金剛神の執金剛とは金剛杵を持つ者を意味する。
因みに金剛頂経の「頂」は諸説あるが峯を意味するシカラ(śikhra)の支持が多いようだ、また金剛界曼荼羅では金剛は大日如来の智慧を顕している。
蛇足であるが、金剛頂経には大日如来(毘盧遮那)の起りは、修行中の釈尊をモデルとした「一切義成就菩薩」と解釈が為されている。
因みに大日如来の智拳印は大日如来と衆生は本来不二一体である、即ち「
注1、五相成身観 五相成身観とは唯識と空観を融合したとされ即身成仏する為の実践法を五段階の観想法で示したマニュアルである。
1「
2「
3「
4「
5「佛身円満」一切如来の様に となる。
注2、四大品の内金剛界曼荼羅には中央の成身会(羯磨会)から・三昧会・微細会・供養会・四印会・一印会までを金剛界品(六種)から引用される、理趣会は理趣経(六種)から取られ降三世品から・降三世会(十種)・降三世羯磨会が引用されている。
注3、主な金剛頂経群 「金剛頂瑜伽中略
不空による概説書と言われる「
注4、金剛頂経で不空訳が日本に於いては一般化しているが漢訳で整備された経典は施護訳でり、南北朝時代に東寺の杲宝が「三十巻教王経次第」二巻を著している。
すなわち、不空訳の三巻本金剛頂一切如来真実捷大乗現証大教王経である。
注5、 釈摩訶衍論 大乗起信論の注釈書で竜樹の作と言われるが、中国で8世紀初頭に華厳経を典拠に登場した哲学で竜樹とは時代が合わない、空海が密教と顕教の相違の説明に引用した様で如来蔵と阿頼耶識の結合を理論化したとされ本覚思想と密教おも一元化している。
注6、 密教は日本に於いては雑密すなわち雑部密教と正純密教(純密)分類されている、また空海以前すなわち雑密は前期密教に、空海が請来した純密は中期密教に分類されている、後期密教は中国や日本には左道(淫し)佛教としてタブー視されていたが、チベットやブータンなどは後期密教すなわちタントラ佛教であり近年見直しがされている、玄昉や道鏡は雑密僧にも分類出来る、因みに雑密の熟語は空海の「真言宗所学経律目録」が嚆矢と言われている、空海は純密と言う熟語は使用しておらず両部と呼称していた、但し空海は両部と言い純密と言うタームは使用していない、しかし空海が請来した経典群の整理に於いて大日経系を「胎蔵部」、金剛頂系を「金剛部」とし、何れにも属さない密教系経典を雑部と分類したことに始まる。
この二項対立を始めたのは慧光(1666~1734年)と言う僧が嚆矢で江戸時代中期以降である。
通常タントラとはヒンドウー教の秘儀経典を指すがチベット佛教などの後期密教に於いては呪術・占星・祭式・医術などが加わる様である。
注7、劫(こう)とは梵語kalpaの意訳で仏教の言う非常に長い期間を言う、劫には複数の算定方法があり、盤石劫の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。また芥子劫とは芥子の実を百年に一度大きな城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、阿僧祇劫(asaṃkhya)の計算法は多数あるが日本では経典により・10の7×2103乗・10の7×2104 ・3×1059等の記述がある。 劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
賢劫の千仏とは現在の劫を賢劫と言い過去の劫を荘厳劫asaṃkhya・未来劫を星宿劫と呼びこれを三世三千仏と言う、賢劫の千仏はここから由来している。阿弥陀如来は宝蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。
劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
注8、 秘蔵宝鑰とは十住心論をコンパクトに纏めた略本で嵯峨上皇、潤和天皇に請われて著わした十住心論の解説書でもある、信仰のレベルを段階的に示した既存仏教の批判書である、因みに秘蔵宝鑰とは「秘密の蔵を開く鍵」を意味すると岸田知子氏(空海の文字とこば・吉川弘文館)は言う。
仏像案内 寺院案内
2007年3月14日 三句の法門他 加筆 2008年7月4日大日の呼称 2009年8月7日 2012年3月3日方便の究竟 7月3日大日経䟽 2014年10月19日 2015年11月19日 2016年5月7日注8 2017年3月4日注6の一部 4月25日 5月5日 6月29日
8月18日 9月6日 11月8日 2018年1月6日 1月12日 1月23日 4月18日 11月9日 2020年7月8日 2021年2月1日 2023年5月29日加筆
「理法身 実相 段階的 時間重視」