勢至菩薩

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梵語mahāsthāmaprāptaqa(マハースターマ・プラ-プタ)を漢訳すると大勢至とは智慧の光をつかさどる「偉大な勢力を持つ菩薩」の意訳で、経典によっては摩訶那鉢(まかなはっ)」他に大勢至菩薩大精進菩薩得大勢(とくだいせい)菩薩(法華経 常不軽菩薩品)」等とも呼ばれる、後述するが浄土教系経典に於いては勢至菩薩と呼ばれるが、法華経(鳩摩羅什訳)では得大勢菩薩と呼ばれ観音菩薩と特に関連は無いようである
観音菩薩
と共に右脇持(随侍)として阿弥陀三尊を形成している、此の場合の随侍とは阿弥陀仏に随身を意味する観無量寿経では勢至菩薩の行くところ総ての世界が振動し座れば国土が一時動揺すると言う、智慧の光明で一切を照らすとあり、大智・智慧を表わす菩薩であり無智からの救済が眼目の為に、慈悲を表わす観音菩薩の様に民衆からの単独信仰を受ける事は少なく像造も三尊形以外はきわめて少ない。
代表的な国宝三尊像に浄土寺
仁和寺金堂の本尊があるが、両寺の場合通常の寺院と逆配置で勢至菩薩は左尊であり稀有な例である、浄土寺の場合は勢至菩薩が水瓶を持ち観音菩薩は蓮華を持っている。
参考までに主な国宝阿弥陀三尊像を挙げると以下のようになる。
勢至菩薩は法華経の「第二十章、常不軽菩薩品」には久遠実成(くおんじつじょう)釈尊から「得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)」すなわち大勢至菩薩(浄土教典系の呼称)に説く形態で記述されている、内容は釈尊の成道前の姿とも言われる常不軽菩薩の行に付いて述べられている、因みに法華経の行者でもある宮沢賢治の「雨ニモマケズーーーーソウイウモノニワタシワナリタイ」(注3)は常不軽菩薩がモデルである。  
*法隆寺
伝橘夫人念持仏) 阿弥陀坐像・観音勢至立像 飛鳥時代  *三千院(往生極楽院阿弥陀堂) 阿弥陀坐像・観音勢至跪坐 平安時代 *仁和寺(金堂)  阿弥陀坐像・観音勢至立像脇侍逆配置  平安時代 *清凉寺(霊宝館) 三尊坐像 平安時代 *中尊寺(金色堂)阿弥陀坐像・観音勢至立像  平安時代 *浄土寺(浄土堂)三尊立像脇侍逆配置 鎌倉時代、仁和寺の件で寺院企画課にお尋ねしたところ、「観自在最勝心明経第九品」などに「密教に於いては、多く右観自在・左大勢至とす」云々の記述を教授頂いた。  
姿形的に印相は蓮華を持つ場合や合掌印等で立像・坐像・跪坐(きざ)像・半跏(はんか)像と阿弥陀如来の目的に合わせて多様で観音菩薩と大差は無い、「観無量寿経」に拠れば宝冠の正面が観音菩薩の化佛にたいして勢至菩薩は水瓶を付けている。
「観世音菩薩授記経」では阿弥陀如来が涅槃に入ると観音菩薩が「普光功徳山如来」となり、普光功徳山如来が涅槃に入ると勢至菩薩が「善住功徳宝王如来」、覚者になると言う。
三尊像の他に絵画で山越阿弥陀図や二五菩薩来迎図などに観音菩薩と共に描かれている。


真言 オン サンザンザンサク ソワカ   


1、水瓶 ()(びょう)とも言い勢至菩薩のトレードマークである、観無量寿経、第十一巻には「肉髻の上に一の宝瓶」に記述がある。  

2、21世紀に入り三重県亀山市西町の遍照寺にある阿弥陀如来像の脇侍である勢至菩薩立像(45.6㎝)が、三大流派の一派である院派の院春の作と判明した、鎌倉時代中期には院派の作例は法院(蓮華王院)千手観音以外は少なく貴重とされる、因みに仏師集団の三大流派とは量産を得意とする・円派、 伝統重視の・院派、 革新的な・慶派を言う


注2、法華経と宮沢賢治の関係であるが「雨ニモマケズーーーーーーソウイウモノニワタシワナリタイ」は経典の根幹である第二十・「常不軽菩薩品」に仏が得大勢菩薩魔訶薩(とくたいせいぼさつまかさつ)(大勢至菩薩)に説く形態で記述されている常不軽(じょうふきょう)菩薩がモデルである、また常不軽菩薩が釈尊の成道以前即ち前世に於ける姿であると説かれている、閑話休題、宮沢賢治18968月~19339月)()(こう)(きょう)事件の立案者と言われる關東軍の石原(かん)()(18891月~19498月)とは・同郷・同世代・国柱会会員で共に2.26事件の心理的指導者・田中智学の信奉者であり、共に満州国に活路を見ていたと言われる。 

1世紀に入り

三尊様式を含む 

 寺  院

  仕   様

 時 代

 三千院

  木造 三尊 坐像(跪坐・やまと据わり)

 藤原時代 

 中尊寺  

 三尊像 中尊64,7cm 脇侍680cm  

 平安時代

 中尊寺  

 三尊像 中尊48.9cm 脇侍73.0cm 

 平安時代 

 清浄華院(京都市)   

 絹本著色 三幅   2012420日内定   四明普悦筆の銘  逆手来迎印 

 南宋時代

  浄土寺  三尊像 木造漆箔  中尊 530,0cm  脇侍各371,0cm 脇侍逆配置、左勢至菩薩   鎌倉時代






法隆寺(伝法堂) 三尊  脱乾漆 119,0cm 159,0cm 157,1cm 奈良時代  120,2cm 157,3cm 1690cm 二組 
法隆寺(観音菩薩と一対)木造漆箔   観音85,7cmcm 勢至86,0cm  飛鳥時代

中尊寺 三尊像 木造漆箔 彩色  中央壇 阿弥陀62,3cm 脇侍74,2cm   

中尊寺・坐像 金色堂 三尊 267,9cm 平安時代    
興福院(こんぶいん) 三尊 木心乾漆   阿弥陀89.1cm 坐像  ・脇侍75.4cm76.1cm 半跏像  天平時代  (奈良市法蓮佐保町)
璉珹(れんじょう)寺(紀寺) 木造古色 105.0㎝  藤原時代    (奈良県奈良市西紀寺町45)
●善明寺(東京都)  鉄造 1740cm  98,0cm   鉄造最大の阿弥陀如来
●専修寺  立像 木造 著色切金文様 仏足文   約80,0cm    鎌倉時代     (三重県津市一身田町2819番地)   2008年指定  伝快慶作
●真木大堂 木造漆箔彩色 211.0㎝ 平安時代  (大分県豊後高田市田染真木1796) 
●大悲願寺   木造漆箔  阿弥陀如来 89,4cm 脇持、千手観音54,8cm, 勢至菩薩60,6cm  鎌倉時代   (東京都あきる野市横沢 134)  

清水寺(観音菩薩と一対)    木造漆箔 玉眼 観音105,1cm  勢至103,1cm 鎌倉時代      
●西光寺(観音菩薩と一対)(三重)木造漆箔   観音67,9cm  勢至68,9cm  平安時代    上野市界外      
七 寺(ななつでら)(観音菩薩と一対、中尊は1945年空襲で消失) 木造漆箔  玉眼 観音137,8cm 勢至137,8cm 平安時代  (名古屋市中区大須2285)
●竹林寺(高知) 木造 106,8cm  平安時代                                  (高知市五台山)  
●璉城寺(奈良) 木造 105,0cm  江戸時代                                  (奈良市西紀寺45
●甲斐善光寺  三尊像三組 (銅像・中尊147.2 観音95.5勢至95.1、鎌倉時代)(木造・中尊140.6 観音139.1勢至139.7、藤原時代)(木造・中尊138.8 観音156.3勢至153.0、藤原時代)   
                                                             (甲府市善光寺町3361)


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最終加筆日 2004628日  2006年11月3日観世音菩薩授記経 梵語振り仮名 注1後半追加2014年3月18日 2017年11月1日 2018年5月2日

  

  

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