理源大師・聖宝と言い修験道(注2)に於ける中興の祖である、天智天皇の血統を引き
東寺や東大寺の要職も勤め皇室の信頼も厚く1707年に理源大師の称号を東山帝より授かる、空海の死後に小野曼荼羅寺仁海の小野流と広沢遍照寺の広沢流に別れ更に十二流に分派するが聖宝は小野流の根幹でもある。
醍醐派系の奈良県吉野郡黒滝村にある真言宗鳳閣寺派の
師は広沢派の祖である益信と同じ源仁の門下である、因みに源仁は空海の孫弟子にあたり聖宝の兄弟子である、空海の実弟で十大弟子(注1)の一人でもある真雅や、やはり空海の親族であり観心寺を興した実恵(空海十大弟子の一人)を師筋としている。
聖宝の門下には俊英が育ち、なかでも観賢(835〜925年)が居り空海の大師号取得を上奏し成功する、また高野山に空海の入定信仰を構築した、観賢は仁和寺の別当を務めを創建後に東寺に於いて毎月21日に行われる空海の御影供を創めた。
聖宝は真言宗と修験道を一層緊密化させた僧でもある、聖宝を派祖とする当山派・修験道の教団が存在し金峰山・大峰山・葛城山を拠点として活動したが変遷を経験した、修験道は1613年(慶長18年)徳川幕府の法度により真言宗系の当山派と天台系の本山派とに限定され明治の廃仏毀釈の時に政府の標的となり姿を消したが近年三宝院や金峯山寺等で復活の兆しが著しい、田中利典氏に依れば現在活動している修験道の拠点を抜粋すると以下が挙げられる。
*金峯山修験本宗総本山金峯山寺
*一乗菩提峰大峰山寺
*当山派修験総本山醍醐寺三宝院
*本山派修験総本山聖護院門跡
*天台寺門宗三井寺
*羽黒山修験本宗荒澤寺正善院
*伊吹山修験伊吹山寺
*真言宗智山派大本山高尾山薬王院
*天台宗那智山青岸渡寺等々が活動している。
注1、空海の十大弟子とは 真済. 真雅.
注2、修験道 山岳修行と呪術等、実践儀礼を中心とした宗教である、古来神道を含む山岳信仰に佛教(密教)、道教、儒教などと習合して平安時代末に宗派としての形態を為したものとされる、一説には道教の日本版とか密教と道教を日本化した道と言われている。
役小角を祖としているが、最澄や空海が修験者的行動をしており、両者の後継者にあたる真言僧で醍醐寺を創建した聖宝や天台僧で回峰行を始めた相応等により広められた。
唱えられた経典は般若心経・法華経普門品であるが、主に真言や陀羅尼を唱えて加持祈裳に効験のあった者を修験者と呼ばれたが、修験者に出家と在家の区別は存在しなかった様である。
天皇家や貴族の金峯山参詣すなわち御嶽詣や熊野詣の先達を行い権力機構とのコンタクトを為した。
修験者は僧侶、在家信者など制約は無いが密教僧が多く参加している、従って密教の王道である両部の大経が最も重要視されている、但し修験道は浄土真宗を除く全宗派に習合している。
信仰対象としては大日如来を中心として両部曼荼羅が主体であり大日如来の教令輪身としての不動明王などが広く信仰された、また金剛蔵王権現、大峰八大童子、熊野権現などが出現した。
多くの宗派が存在したが江戸時代には二大宗派に所属を義務化された、すなわち天台系の本山派と真言系の当山派である、明治政府によって修験道は廃止され本山派は天台宗、当山派は真言宗に所属させられた。20世紀中盤から真言宗醍醐派(総本山三宝院)、本山修験宗(総本山聖護院)、金峰山修験本宗(総本山
修験道の主な聖地に・羽黒山・日光・高尾山・伊吹山・園城寺・聖護院・醍醐寺・金峯山寺・那智山
修験道の修験の意味は験(験力)≒霊力を取得する超自然的な力を得た者を言う。
注3、讃岐五大師とは 空海(弘法大師)・実慧(道興大師)・真雅(法光大師)・円珍(智証大師)・聖宝(理源大師)を言う、因みに平安以来日本に於いて大師号を授与されたのは22名である。