准胝(じゅんでい)観音

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女性の守護仏「子授けの功徳」「除災延命」尊として信仰されている、准胝観音菩薩関連は七世紀後半に漢訳された、元来は”准胝佛母観音””七倶胝佛母(しちくていぶつも)”等と呼ばれる、これはインドに於いてチュンダー陀羅尼(Cundā)かチュンディー(Cundī)と言う音訳、即ち呪文を人格化したと言われ佛母とされていたものが密教と共に中国を経て日本にきて観音になったものと言える、従ってインドに於いては明妃(みょうひ)という、また密号は最勝金剛、降伏金剛。
すなわち准胝は女性名詞であり女尊である、日本に於いても天台系では六観音や変化観音には分類していない、但し中国に於いて宋時代に漢訳された経典では観音菩薩と説かれており、これが日本に伝播したとも言える。
密号を最勝金剛と言い,胎蔵界曼荼羅
では観音院(蓮華部院)ではなく、遍知院に位置しており、七倶胝佛母(仏眼仏母 注4)として
大日如来の智慧を象徴している、また七倶胝とは七千万憶即ち無限数の仏の母とされている、また准提、尊提等の漢訳もあるが何れも音訳とされる
インドではAvalokiteśvara(アヴァロキテシュヴァラ 観音)すなわち観音から発信されるイメージは貴族・勇者を意味する男性名詞である,しかし准胝観音は清浄で、多羅菩薩などと共に紛れもない女性の観音菩薩であるが、インド即ちヒンズー教では女神(じょしん)であり観音ではない、中村元氏に依ればインドではsaskta(梵語)でのAvalokiteśvaraすなわち観音から発信されるイメージは男性名詞である、貴族・勇者を意味するが准胝は女尊であり、源流はヒンドゥー教の女神チュンディ (Caṇḍī)であると佐久間瑠理子氏は言う梵語cundi(チュンデイ)は音訳であり意訳すれば清浄と訳される、その語源はチュド(cud)で「うながす」「鼓動する」を意味すると言う、また七倶胝佛母は梵語名をサプタコーティ・ブッダマートリSaptakoibuddhamātと言い女性特有の名詞である
真言系では六観音の一佛である、特に醍醐寺三宝院を中心とした小野流が力点を置いている、尊提観音と呼ばれる事もあり、准提観音と記述される事もある、cundiの意訳は「清浄」で心は佛母とリンクしている、中世インドに於いては女尊が多く登場しておりcundi もその一尊である、特に密教の尊挌は女性原理的霊力を般若波羅蜜
(佛母の覚りの智慧)として重要視された、閑話休題、真言宗の六観音には女尊が一尊加わっていることになる。 
教典によるが佛母
(仏眼仏母・注2としている経典が有り、観音菩薩ではなく如来(仏)の範疇であるとする天台宗や研究者グループもある、真言宗に於いても醍醐寺随心院などの小野流では観音としている、仁和寺などの広沢流に於いては仏部に扱われている、胎蔵界曼荼羅の観音院の中には存在せず遍知院の中に七倶胝仏母として佛眼佛母と共にあるが頭部に化佛を着けていない事もある、バラモン・ヒンHinduの影響が少ない仏教的な観音と言えなくもないが、 ヒンドーに於ける三神一体の一尊、シヴァ神(シャイヴァ・Śaiva)の妻ドルガー(durgaの別名とも言われており世紀インドのエローラ石窟等に作例が見られる、また醍醐寺を興した聖宝如意輪観音と共に篤く信仰した観音で密教仏と言える、典拠としては「七倶胝佛母(しちくていぶつも)准提大明陀羅尼経」(金剛智訳)・「七倶胝佛母所説准提陀羅尼経」(不空訳)がある。
日本に於いては醍醐寺を興した聖宝が上醍醐に安置したのが嚆矢とされる、したがって醍醐寺・准胝堂の本尊は准胝観音である、この本尊は秘仏であり、5月1719日のみ開扉される。
「佛母准胝陀羅尼経」に於いては多くの菩薩が如来となる為のアシスト的な役割を担うが真言宗に於いては前述のように観音菩薩として扱うか否か広沢流や小野流では議論が分かれている、天皇家の王子誕生願望に応えて醍醐寺を興した聖宝が准胝観音信仰に篤く「求児法」と言う呪術を使ったとされる。
准胝観音は初めて真言僧になる為の得度会に於ける本尊であり、高野山の聖地である壇上伽藍内に空海が直接手を懸けたとされる准胝堂が置かれている。
千手観音と誤認される事があるが、姿形としては多様で二臂、四臂、~八十二臂、八十四臂まで存在するが、多くは黄白色で十八臂三眼で真手の右は説法印・施無畏印を結び、・剣・数珠・子満果(しまんか)鉞斧(えつふ)(かぎ)・金剛杵・宝鬘を左手には如意宝珠・蓮華・澡灌(そうかん)・索・輪・螺・賢瓶・経篋(きょうきょう)を持つ像が多数である。
但し「覚禅抄」「阿娑縛抄」は八臂像であり、エローラ石窟には六臂像や四臂像が見られる、因みに多臂像は千手観音と誤認し易いが三眼を准胝観音と観る事が出来る。
利生としては夫婦和合、求子安産、延命等多義に亘るが醍醐帝の求めにより聖宝の求子法を修して朱雀、村上天皇を誕生させたと言う、造像は少ないのと秘仏が多い、天皇の勅願所として即位式のみ開帳される長楽寺
(京都市東山区円山町626)などは、その典型である。  
同尊説も言われる仏眼仏母は大日経䟽に依れば仏の眼を尊格化したもので、覚りを得る為の智慧の象徴と言える、准胝観音を念ずる修行者の結ぶ印章は安産、夫婦和合、長寿を成就する准胝観音印と言う
絵画
(東京国立博物館)には二眼八臂で四天王を配下に伴うものもある。
また現世利益
(利生)より心の救済を主体としている為日本に於ける信仰は極めて少なく単体造像も稀で現存し、醍醐寺
(上醍醐)では西国三十三所11番札所の本尊として信仰を受けている。
他に新薬師寺広隆寺にも像は存在するが文化財指定像は少なく大報恩寺など六観音の内の一体として制作された程度である、また前述の様に天台では仏母すなわち如来に分類している為に六観音から除外して不空羂索観音を当てている。
中国密教による四大法と呼ばれる呪法があり、空海、最澄、隠元などに将来された、四大法とは・「准胝観音法」・「穢跡金剛法」・「千手千眼観音法」・「尊勝仏母法」で准胝観音法の様であるが孔雀明王に関する呪法もカウントする記述がある。 

文化財指定は無いが天皇の即位式のみ開扉される最澄の自彫伝承を持つ准胝観音を本尊(秘仏)とする寺がある、京都市東山区円山町の黄台山長楽寺であり天皇の勅願寺である、宗派は延暦寺の別院から浄土宗を経て現在は時宗の寺である、その他醍醐寺(観音堂)秩父三十四所観音霊場の五番・小川山長興寺(語歌堂)がある。
ヒンドーの女神すなわちチュンダー女神としての作品は三十数尊が出土している、四臂像、八臂像、十二臂、十六臂、十八臂像と多様であるが、一面四臂でナーランダーで出土した女神がニューデリーの国立博物館に置かれている。  


真言  オン シャレイ シュレイ ジュンテイ ソワカ  

 

注1、六観音の説明は・聖観音如意輪観音編に記述

2仏眼仏母  「一切仏眼大金剛吉祥一切仏母」が正式名称で如来の眼の偶像化を言う、菩薩が覚りに入る智慧の母とされ准胝観音と同尊とも言われる。

また大日如来、釈迦如来、金剛薩を神格化した尊像で、真理を見つめる眼を密教的にシンボライズしたものである、台密では護摩の九曜に於ける本尊である。

3、醍醐寺の准胝観音堂が焼失した・ 2008824日未明に落雷があり観音堂(約150㎡)と西国三十三所・十一番札所の本尊である秘仏・准胝観音菩薩が全焼する。

4、七倶胝佛母とは准胝観音の異名で七千万億仏母と言う意味である。

    梵語名をSaptakoibuddhamātと言い女性特有の名詞である、また倶胝(くてい)とはインドに於ける数の単位を言い、koiの音訳で107乗、1000万とか億とする説もある。
  

●大報恩寺(千本釈迦堂)木造 立像175.7cm 肥後別当常慶作 六観音の内              
 
醍醐寺 一面三目十八臂三眼 坐像 約70.0cm 秘仏 西国三十三所十一番札所の本尊
                      
長楽寺 一面三目十八臂三眼 立像  秘仏  前立像は拝観可能  京都市東山区円山町626  

○高山寺 仏眼仏母 絹本著色 197.0:127.9cm  鎌倉時代      「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」に依れば仏体が月の様に白く輝くとの記述、 明恵の念持仏であり、図中には明恵本人の書き込みがある。
 

最終加筆日2004825日  12月8日 2012629日 2013128日 2016年4月12日 2017年11月20日 12月3日 12月31日 2020年5月6日 5月19日補足  2021年3月29日 加筆 

 

 

  

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