本来は祖師の法脈を継承する寺であり「
899年宇多上皇が仁和寺に入寺したのを嚆矢とされる、現在に於いては門跡の呼称は許されているが、1871年に公的な門跡は廃止された宗派一門の祖師の法脈を継承する寺の事を言い、平安時代後期になると皇族や公家などが出家して代々入寺する寺を言うようになり塀には5本線を入れる事が許された、江戸時代に宮門跡(天皇家の入室) 親王門跡(宮家から入室) ・攝家門跡(五摂家) ・清華門跡(公家)・准門跡(脇門跡)(浄土真宗・真宗系)の他に尼門跡等がある、ちなみに門跡寺院とその門主は南都仏教と同じく葬儀の祭主を務める事は無かった、また門跡に次ぐ格式の寺で門跡の後見・補佐の役割を担う「
門跡寺院の関連に院家がある、院家とは後には皇族も含まれるが、当初は貴族出身の僧の住む寺を言われた、また前述の宇多上皇入寺の折りに従った貴族たちを院家衆と呼ばれた。
尼門跡ー円照寺 中宮寺 法華寺(以上大和三門跡) 興福院 等々
注1、門葉門流 門葉とは一門すなわち血縁に繋がると言う意味合いである、門流とは一門の流派を言う。