安倍仲麻呂や陰陽師・安倍晴明など安倍一族の氏寺であったとされる、通称「安倍の文殊院」と呼ばれているが明治の神仏分離政策以降の呼称である、7世紀中盤頃に左大臣を務めた
文殊とは梵語に於ける Mañjuśri(マンジュリー)の音訳であり文殊師利菩薩の略称で実在の人物とされる。
文殊院には快慶作の総高7mに及ぶ渡海文殊と呼ばれる騎獅子文殊菩薩像が四従者すなわち
・善財童子・優填王・仏陀波利(須菩提)・最勝老人(維摩居士)を随えている、快慶渾身の作とも言える傑作で、細部にデフォルメされた造りが見事に調和した全体像に仕上げられている、因みに最勝老人は1607年(慶長12年)豊臣家お抱えの仏師集団の仏師で下御門仏師と呼ばれた宗印の作である、2009年秋の調査で「南都大仏師宗印作之」の墨書が発見され重文指定を受けると2010年4月に貫主・植田
定かとは言えないが文殊院は東大寺、重源の住処説があり文殊菩薩像と東大寺の関連が言われている。
当院には丈六仏よりやや小ぶりであるが、平安末期の作で見事な阿弥陀三尊像が安置されている、この尊像は明治時代の廃仏毀釈の時に多武峯寺すなわち
また京都府宮津市天橋立切戸の智恩寺・文殊堂、 山形県東賜郡高畠の亀岡文殊・大聖寺また京都の金戒光明寺と共に日本三文殊の一寺に数えられている。
中国に於いては文殊菩薩の信仰は篤く山西省の・五台山が文殊菩薩の聖地として崇められている。
文殊院は四季の花々に彩られているが、特に浮御堂を囲む文殊池に反映するサクラの景観は見事である。
付近は散策に適した地域で香具山、藤原宮跡、資料館,おふさ観音(高野山真言宗・観音寺)等が165号線沿った路がある。
文殊院には入学祈願の祈祷に訪れる人が多いが文殊の場合般若思想等、教義の造詣が深く知を象徴されるが文殊菩薩本来の知は理知であり記憶力や暗記力の場合は虚空蔵菩薩でも可能である、受験の神としてではなく人間形成に役立てたい。
文殊院には面白い法要があり、2月の節分には「節分銭ぶつけ厄祓い大法要」が行なわれる。
渡海文殊像の脇侍は通常は「善財童子」「優填王(ウダヤナ)」「最勝老人」「仏陀波利三蔵」であるが、文殊院では「最勝老人」を維摩居士に、「仏陀波利三蔵」を須菩提と呼んでいる。
2013年2月27日、国の文化審議会から快慶作の・騎獅文殊菩薩像・善財童子像・優填王像・仏陀波利三蔵(須菩提)等四躯の内、維摩居士(最勝老人)を除く像四尊が国宝指定の答申を受けた。
「大和七福八宝めぐり」と言うグループがある、三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺が加盟している。
華厳宗 所在地 奈良県桜井市大字安部645 ℡ 0744-43-0002
主な文化財 ○印国宝 ●印重要文化財
○騎獅文殊菩薩 198,0cm 1203年 木造彩色 粉溜 快慶作の墨書 鎌倉時代
○善財童子 134,7cm 眷属像(脇侍) 玉眼 鎌倉時代
○優填王 鎌倉時代
○仏陀波利三蔵 187,2cm 鎌倉時代
○造立願文 一字三礼の書一巻 鎌倉時代
●最勝老人(維摩居士) 宗印作(注6)の墨書
●白山堂 流造 柿葺 室町時代
●大般若経 (天平十三年歳次辛己三月八日発願・左京八条二坊・高史千嶋・高史橘)
●優填王268,7cm 眷属像(脇侍) 玉眼 鎌倉時代
注1、 騎獅子の文殊菩薩を先導役の善財童子、手綱を持つ優塡王、と仏陀波利と最勝老人の眷属が取り囲み雲に乗り海を渡り五台山を目指す像を「渡海文殊」と言うが、「五台山文殊」と呼ばれた像の発展系である。
注2、 大般若経 造立願文 非公開
注3、 死者に対する法要に関する信仰に「十三仏信仰」があり当寺も大和十三仏霊場に参加している。
注4、 多武峯の談山神社は廃仏毀釈以前には妙楽寺と聖霊院の両寺院があり、総称して多武峯寺と呼ばれていた、旧妙楽寺の木造H約17m檜皮葺の十三重塔があり、唐の清涼山宝池院を呼称する寺の塔を模した塔があり、談山神社の表看板になっている。
注5、 妙楽寺釈迦三尊の他の寺宝として以下の文化財がある、・弁財天・安倍仲麻呂・安倍晴明・大日如来・地蔵菩薩・十一面観音・大黒天・十二天御尊(十二幅)・唐獅子屏風(狩野永徳)等である。
注6、 仏師「宗印」とは豊臣家お抱えの仏師集団で、主に方広寺大仏制作を担当した下御門仏師と呼ばれた一人で最後の南都大仏師と言われた人、吉野の金峯山寺の蔵王権現像の製作者でもある。
注7、奈良・京都は十三仏信仰が篤く死者に対する法要に関する十三仏霊場がある、*西大寺 *文殊院 *長岳寺 *当麻寺 *新薬師寺 *円成寺 *大安寺 等の著名寺院が参加している。
最終加筆 2011年1月2日植田俊應師の件 2013年2月28日国宝指定関連3月12日注6 2014年2月1日、注1追加筆