融通念仏宗

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大念佛宗とも言い比叡山の堂僧・良忍10731131を開祖とする、浄土信仰(念仏)の草分け的な宗派である、南無阿弥陀仏の六字名号を標榜する一仏信仰、すなわち日本に於ける一神教的な教義を唱える嚆矢的な宗派である。
十二世紀初頭に個人の唱える念仏は一切(全て)の人間に”溜り(とどこうり)なく()け合い”融通(ゆうずう)し、また全ての人間の念仏は融通して個人の利益(りやく)・功徳となると言う思想より始まる、一人の祈りが多勢の念仏と融合する、「速疾(そくしつ)往生と唯心(ゆいしん)浄土」を言う、浄土とは百千萬億劫を要しても届かない西方十万億土の彼方ではなく娑婆にある、己の心の中にあるという、要するに融通イコール共有である、是を「一則一切・一切則一」と言い華厳思想に通じる,即ち念仏宗系に於いて浄土宗浄土真宗が採用しない華厳経法華経の二経を重要視する、歴史は古く延暦寺に念仏信仰が起こり始めた頃であり、浄土信仰が衆生に浸透する法然の時代を半世紀あまりさかのぼる歴史を持ち、浄土宗の先駆的な宗派と言える、阿弥陀仏と己と第三者が融通する教義で後発の浄土宗、浄土真宗と他力に対する解釈がやや広く採られている。
名帳んが著名であるが、他に神名帳がある、神祇同音(じんぎどうおん)と言い、四天王、梵天、帝釈天等の他に八百万の神も加わり融通念佛している。
又当初は衆団で念仏して互いに功徳を施すと言う勧進行脚が主流で仏教宗派としての組織を持たず集団運動の中から発展したものである、宗派の形態を整えたのは江戸元禄時代にまで下る、開祖は良忍であるが宗派名が認知されたのは融通念仏宗四十六世で融観大通と言う僧が1688年幕府に申請して後の事であり、長期間天台宗内部の一派として認知されていた為に浄土宗の法然や臨済宗の栄西の様に既存宗派から迫害を受ける事は免れた、融通念仏の最大の特徴は源信が重要視した観想念仏
(仏国土を思い浮かべる)から称名念仏(南無阿弥陀仏を唱える)重要視に変えた事であり、後の鎌倉仏教の先駆的な意味合いが強い、良忍は比叡山で天台教学と定行三昧を修行していたが腐敗・世俗化した比叡山を嫌い大原の勝光院に移り住み華厳経と法華経・阿弥陀経三昧の生活を送る、後に阿弥陀如来の夢告を受け勧進活動に入る、因みに声明には霊力が存在するとインドではバラモン以来から信じられていた。
1874
年宗名を融通念仏宗とする,また融通念仏宗には「御回在」と言う行事があり本尊・十一(そん)天得(てんとく)如来の軸絵を信徒の各家庭を訪れ軸箱で祈願する「お頂戴」が行われると言う。
声明念仏でも融通念仏宗の本義は溶けあい滞らず通じ合う事である、名帳に記入し念仏を合唱すると己の為でもあるが空間を越え融通し合い他の念仏者と心を共有できると言う。

因みに声明とは円仁が招来したもので、インドのバラモンが学修すべき五明の一つで、経典を詠む為に節をつけるものを嚆矢とする,声明の聖地は大原であるが、三千院の天台宗のほかにも、真言宗など多くの宗派が採用している、内容的には経典の偈頌(げじゅ)すなわち内容を詩で表し、節を付けて称えるもので、仏の徳を称えるもの偈が多い、声明には呂律(ろれつ)が重要で、巷間では「ろれつがまわるらない」等に使われる、呂律の語源は聖地である大原の里に流れる()川と(りつ)川から採られている。
教団最大の危機は1872年に太政官政府の命令により天台宗に併合されるが教団や信徒の努力で約2年後に分離独立が認められる。
総本山・大念仏寺は住吉の修楽寺を嚆矢として発展した寺であり阿弥陀如来と十界を示した「十界一念 融通念仏 億百万遍功徳円満」を著わした変相図
(曼荼羅)がある。
依経であるが、通常念佛教系は浄土三部経を最優先するが、融通念佛宗に於いては華厳経、法華経を優先し続いて浄土三部経となる。

経典・華厳経法華経・浄土三部経  ・本尊は十一尊天得(てんとく)(阿弥陀)如来
(注1
 浄土三部経とは阿弥陀経  観無量寿経  大無量寿経 を言う。

総本山・大念佛寺 ・大阪市平野区平野上町一   ・信徒数約十二万人、       寺院数は大阪府近郊を中心に約360ヶ寺。   他に来迎寺・極楽寺・大念寺(いずれも大阪府)  



1, 十一尊天得如来とは阿弥陀如来を中心とし十尊の菩薩を従えた画像で内訳は ・観音菩薩 ・勢至菩薩 ・光明王菩薩 ・宝蔵菩薩 ・徳蔵菩薩 ・三昧王菩薩 ・薬上菩薩 ・虚空蔵菩薩 ・月光菩薩 ・日照王菩薩 の十尊。   ジュウイチソンテントクニョライ

2, 定行三昧とは四種三昧の一つで心を不動にして瞑想の境地に入り九十日間常に仏を念じ・浄土仏三十二相を思い浮かべ念仏を唱えながらお堂を回り続ける修行。」(三十二相八十種好は仏像12参照)

3, 四種三昧とは定坐三昧・定行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧を言う。 

4、 良忍 聖応大師)   1073年〜1132   
尾張の国富田(愛知県東海市)の出身で13歳の時に比叡山に学ぶ、園城寺に於いて大乗戒・仁和寺では曼荼羅の両部戒の灌頂を受け顕密両教に精通する。
不断念仏衆として天台声明を学ぶ、天台僧時代には無動寺明王堂に於いて千日間にはだし参り等の苦行や勧進活動を行った。

融通念仏宗の開祖であり天台宗の魚山流声明(しょうみょう)の完成者ある、晩年には念仏合唱曲を作り、念仏の功徳は一切の衆生に融通し、他人の称える念仏行にも融通し己の功徳と成ると言い融通念仏宗が誕生する。
節をつけて謡うように念ずる梵唄(ぼんばい)すなわち声名の完成者であり五木寛之氏は百寺巡礼に於いて良忍をして「日本音楽の祖」と言う。  (百寺巡礼講談社) 
    


最終加筆日20041114臂  200791日 融観大通 2013824日六字名号 2015年12月18日 2016年2月25日 9月18日加筆 2019年3月13日修正       




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