阿羅漢

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阿羅漢とは初期仏教では仏弟子に対する尊称であった、梵語名 arhat(アルハット) i(arahant)の音訳でアラカン即ち阿羅漢と漢訳されている。
語根はarh-からで価値ある立派から由来しており、語意は「尊敬される人」である、阿羅漢果(あらかんか)すなわち覚りを得た覚者を言う、仏道の修行を終え覚りを開いた、独自の個性を持った自由人である、ゆえに羅漢像は総て強烈な個性を表しおり、何処の羅漢像も同じ姿勢、顔の羅漢像は居ない、arhanであるが、覚りを得たもの、供養を受けるに値する者と訳されるが本来は敵(煩悩)を打破する者を意味すると言う解説書もある、五百羅漢を眺めていると一休宗純の師である大徳寺二十二世・華叟(かそう)
(そう)(どん)との公案禅に於いて答えた、「 有漏(うろ)()より 無漏(むろ)()へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」が浮かぶ。 
上座部仏教部派仏教に於いて最高位の聖者である、意訳すれば「聖者」「供応」即ち人々に布施、尊敬を受けるに値する人間とされる、がんらい阿羅漢とは釈尊の尊称である、文学博士・田上太秀に拠れば釈尊も阿羅漢
(アルハット arhat)と呼ばれたとされる、また釈尊も弟子の内でも舎利弗など特に優れた人には阿羅漢とか仏陀(buddha)若しくは善友と呼んだという、しかし仏滅後は五事問題等が著され異部宗輪論」もあり神格化が進行し「無師独悟」の釈尊を阿羅漢及び弟子達を仏陀とは呼ばれなくなった。 
大乗仏教の興りと共に”強烈な欲望否定”や糞掃衣(ふんぞうえ)が忌避された事と、自己中心的な悟りと解釈され”利他行”に乏しいとされた、上座部のスター阿羅漢はその座を菩薩信仰に
変更された、しかし中国に於いて会昌の法難(廃仏)等で寺院や仏像を公に開示出来ない時代に、道教と習合して秘密裏的に生まれた禅宗では、道教思想の無為自然・虚無思想と習合して阿羅漢信仰が復活した、但し衣装はインドの糞掃衣ではなく、フリーダム(Freedom)である。
上座部仏教の尊格である阿羅漢を大乗に取り込み菩薩よりも下位に置いたのは法華経の影響が大きい、大乗仏教、特に法華経に於いては阿羅漢の覚り(注9)は真実の覚りに至る過程の覚りである、すなわち方便であると言い阿羅漢のランクが下げられている、因みに無師独悟とは師を持たずに覚りを開いた事を言うが、天台等で言われる十界互(じゅうかいご)()の縁覚界とはニュアンスが違う、閑話休題、大乗佛教は釈尊一人を祭り上げなければ都合の悪い集団により作られたと言う乱暴な意見もある。 
 
これは仏教が上座部(テーラワーダ、theravādasthaviravādaと大衆部マハーサンギカ、mahāsāghika)とに分裂)に分裂する原因と成った、いわゆる十事の非法(注3 ・大天の五事(注4の解釈問題で十事の非法とは教団に於ける戒律の緩和に関する十項目を言い、五事は羅漢に対する緩和及びランクを下げる主張である、仏滅後約100年後に議論された問題で十事・五事を言う大衆部(大乗)に対して上座部の反対で分裂の一因となる。 

通常は釈尊の高弟を指し十大弟子・十六羅漢(注5・五百羅漢・五比丘・三迦葉などを言い独尊で安置される事はない、釈迦の直弟子のうち高い地位の修行者を言う、十六羅漢とは仏滅後に正法を護持して衆生救済を義務付けされた十六人を言い、五百羅漢は初回の経典結集編纂の参加者とも法華経に現れる500人とも言われている、これらは中国に於いて創められたものであるが十六羅漢は玄奘訳の「大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記(だいあらかんなんだいみたらしょせつほうじゅうき))」からとられている、また五百羅漢は「法華経・五百弟子受記品」が典拠と考えられる、普遍性に欠しいが「興起行経」上巻に五百羅漢の所在は崑崙山(こんろんさん)で山は総て宝石で出来ており周辺に五百の洞窟があり総て黄金で構成されていると言う。
通常十六羅漢は仏法を守護することを誓約した釈迦の弟子をいい、五百羅漢はインドに於いて最初に行はれた第一結集saMgiiti・サンスクリッや経典編纂に参加した五百人の弟子を指し最高の覚りの水準に達した人を言う、上座部仏教に於いて釈迦の弟子としての最終の到達点であり僧侶として最高の地位をも指し、正法を次世代に伝達する役割を持つ、いずれの羅漢像も個性あふれた特徴的な顔であり、同系の顔は無い、羅漢は覚りに到達した自由人であり束縛される事はない。
しかし大乗仏教では己は修行する事により覚りの境地に達しようとしているが如来に成るのを猶予して民衆を救済する菩薩行、即ち「上求菩提、下化衆生」を目的とする菩薩より、己の覚りを主な目的とする羅漢の地位は低く抑えられている、しかし上座部に於いては阿羅漢は釈尊が善友とか仏陀等と呼んだように覚者に分類されて、覚りを目指したり、猶予する菩薩とは遜色はない、また菩薩、声聞や縁覚も羅漢の範疇に入ると言う記述も見られる
日本に伝わった仏教は大乗仏教であり南都六宗浄土系もこれに重きをおかれ無かった、したがって指定文化財はわずかに法隆寺五重塔の塑像群に見られる程度である。
しかし鎌倉時代に入り禅宗臨済宗 曹洞宗が盛んになると修行の目標として羅漢信仰が興る、絵画に大徳寺満福寺東福寺等多く採用されるようになる、また羅漢寺(大分)喜多院(川越)などには五百羅漢の像も存在する、特に禅宗系に於いては羅漢は「覚りを開いた人」(仏?)である、公案禅が示すように個々が強烈な個性を持つ自由人である。
東京都江東区大島三に1948年黄檗宗から独立した天恩山・羅漢寺には287尊の五百羅漢や5尊の十六羅漢が安置されている。


                


主な羅漢像  表内は国宝   

寺      名 

仕             様 

 時     代 

 興福寺 八部衆立像 

  脱乾漆 149,1160,3cm 五部浄48,8cm 

 天平時代 

 興福寺 十大弟子立像 

  脱乾漆 彩色 146,0154,8cm 

 天平時代 

  

1、羅漢 梵語の arhan の音訳で釈迦如来の直弟子を言う、正式には阿羅漢と言う。尊敬・布施をうける資格を有し覚りを開いた高僧を言い、十大弟子・十六羅漢・五百羅漢が代表的な存在で意訳すると「応供」とされる。 


2大報恩寺の十大弟子立像 木造彩色 玉眼。    

1, 舎利弗        95,0cm  
2,
 摩訶目
連     97,2cm  
3,
 摩訶迦葉      94,4cm  
4,
 須菩提        98,6cm  
5,
 富楼那弥多羅尼子 96,2cm  
6,
 摩訶迦旃延    99,2cm
7,
阿那律       96.8
8,
 優波離       95,8cm  
9,
 羅睺羅       98,0cm  
10
 阿難陀      96,0cm  

 

3、十事の非法とは釈迦仏滅100年後におけるトラブルで根本分裂の原因となる、十事とは従来の戒律即ち教団の規則を緩和した除外例である、下述するが代表例を挙げれば金銭類(金銀を含む)の布施の承認   
1、前日に布施をうけた塩を蓄えて後日の食事に用いても良。
2
、中食後も、ある一定時間内は食事して良。
3、食後に於いてまた食べても良。
4
、道場を離れれば食後でも食べて良。
5
、酥・油・蜜・石蜜などを酪に混入し食事時以外にも飲む事の承認。
6、病気治療の為なら未醗酵の飲酒の承認。
7
、身体のサイズに応じた座具の大きさの選定承認。
8
、慣例の行為に準ずる場合は律と相違も認める。
9、別箇に羯磨法(こんまほう)を行い、あとからやって来て他の人にそれの承認を求めることができる。
10
、金銭類の布施の承認.


4、大天の五事。
1
、天魔の誘惑時は羅漢も不浄の夢精は致し方ない
2
、羅漢には不染汚無知が有る
3
、羅漢には世間の疑惑がある
4
、羅漢には聖慧眼に至らない人がある
5
、真実、苦悩を叫ぶ事から聖道が生まれる  


5、 部派佛教(アビダルマabhidharma/法の研究)時代  紀元前3世紀~1世紀頃の佛教の教理に依る釈尊の直弟子を含んだ分裂を言う、根本分裂すなわち「十事の非法」の賛否により上座部(テーラワーダ、theravādasthaviravāda)と大衆部(マハーサンギカ、mahāsāghika)とに分裂)に分かれ、更に分裂し上座部11部・大衆部9部となる、分裂が表面化したのは佛滅後約百年後にヴァイシャーリー行われた第二回教団会議(七百人結集)からとされる。
根本分裂の大きな事例に大乗佛教の祖とも言える(いえる)大天(だいてん)すなわち摩訶提婆(だいば)による「大天の五事」があり、阿羅漢の条件に幅を持たせる五項目の解釈や布施に金銀・貨幣の承認問題(十事の非法、すなわち戒律からの除外項目)等がある、因みに部派佛教の呼称は明治以降日本で使用される用語である、
因みにアビダルマ(阿毘達磨・abhidharma)とは組織的研究、対法とも訳される。
十事の非法を挙げると以下の様になる 1前日に布施をうけた塩を蓄えて後日の食事に用いても良。  2、中食後も、ある一定時間内は食事して良。  3、食後に於いてまた食べても良。  4、道場を離れれば食後でも食べて良。  5、酥・油・蜜・石蜜などを酪に混入し食事時以外にも飲む事の承認。  6、病気治療の為なら未醗酵の飲酒の承認。  7、身体のサイズに応じた座具の大きさの選定承認。  8、慣例の行為に準ずる場合は律と相違も認める。  9、別箇に羯磨法(こんまほう)を行い、あとからやって来て他の人にそれの承認を求めることができる。  10、金銭類の布施の承認。 とされている。 
上座部の11派  (南伝佛教(上座部と北伝佛教(大乗)とは多少の相違がある)
説一切有部(せついっさいうぶ)

雪山(せっせん)部 ・犢子(とくし)部 ・法上部 ・賢冑(けんちゅう)部 ・正量(しょうりょう)部 ・密林山(みつりんせん)部 ・化地(けじ)部 ・法蔵部 ・飲光(おんこう)部 ・経量(きょうりょう)部  
大衆(だいしゅ)部の9
派  
一説(いっせつ)部 ・説出世(せつしゅっせ)  ・鶏胤(けいいん)  ・多聞(たもん)  ・説仮(せっけ)部 ・制多山(せいたせん)部 ・西山住部 ・北山住部。

6、十六羅漢 とは釈尊の涅槃時に仏法護持の役目を委託された16人で此処千人程度の弟子を持っていた、因みに正式には阿羅漢と言う、他に第1回目の経典編纂に集まった仏弟子達を五百羅漢と言う、副島弘道氏(大正大学教授)は弥勒仏の出現後に覚りを開く尊者で数は定まっていなかったが、玄奘の「大阿羅漢提蜜多羅所説法住記」から十六に定められたと言う。

1 賓度(ひんど)()()囉媠(だーじゃ)闍尊者  部派仏教では最上席の羅漢である、日本では病平癒の信仰から「おびんずる様」(お賓頭盧)として体の欠陥箇所を撫でると快癒するとして信仰されて寺の前に安置されている。

2
 迦諾迦(かなか)伐蹉(ばさ)尊者 

3
、 迦諾迦(かなか)跋釐堕闍(ばりだじゃ)尊者 

4
 蘇頻陀(すびんだ)尊者 

5
 諾距(なこ)()尊者 

6、 跋陀(ばだ)()尊者 

7
 迦哩迦(かりか)尊者 

8
、 伐闍(ばつじゃ)()()多羅(たら)尊者 

9
 戎博迦(じゅばか)尊者 

10
半託迦(はんたか)尊者 

11
囉怙(らご)()尊者 

12
那伽犀那(なかせな)尊者 

13
因掲陀(いんがら)尊者 

14
伐那婆(ばなば)()尊者 

15
()()()尊者 

16、注荼(ちゅだ)半た迦(はんたか)尊者



注7、異部宗輪論とは著作は()()vasmitra・バスミトラ)と言い玄奘訳が知られている、部派分裂の歴史を分析する為に不可欠な説とされる、異部宗輪論に拠れば五事問題がある、五事問題とは修行者の到達点に於ける阿羅漢のランクを低く評価する五個の見解である、・貌(ぼう)・言・視・聴・思で五事となる。      *説一西切有部 サルバースティバーディン(Sarvāstivādin

注8、阿毘(あび)達磨(だつま)i 語)Abhidamma, 梵語) Abhidharma 音訳 阿毘(あび)(どん) 毘曇とは教説の解釈及び注釈書で「論蔵」と言われる、Abhiは何々に対して‐‐‐、dammaは真実、法を意味する。

注9、無学位 
学道を完成しこれ以上に学ぶ要が無い状態を阿羅漢果、無学位とも言う、以下のランクは不還果・一来果・預流果を「有学(うがく)と続く。

注10、 戦中派~昭和一桁(1930年頃)の生まれの人達にアラカンと言えば、30年にわたりモノクロ映画の鞍馬天狗に主演した嵐 寛壽郎を連想される。

注11、 千葉県南房総市富裏町深名の日本寺(曹洞宗)の山中に千五百羅漢像(1553尊)がある、本尊の薬師如来は石造で21、3m(総高31.05m)がある。

 


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最終加筆日20041115日 2007530日 注52012年12月18日 2014年3月29日注3 6月11日saMgiit 2015年3月4日注6他  2017年10月12日 2020年5月28日 2021年6月4日 2022年9月11日加筆       

  

 

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