帝釈天 

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梵語のśakra‐DevānāIndra シャクラデー・バーナーム・インドラ)を音訳され釈迦提婆因陀羅(しゃかだいばんいんだら)・天帝釈・因陀羅等と解されており śakraの音訳から釈迦羅とも言われる、バラモン(婆羅門)ヒンズーでは雷霆(らいてい)すなわち、雷のパワーを擬人化した尊格を持ち、梵天と共にウパニシャッドにも登場している様だ、古来からインドに於ける神々の王とされている、シャクラśakraの音訳である、因みにバラモン聖典のヴェーダveda)から佛教に取り入れた帝釈天は天界の忉利天(とうりてん)(梵語:Trāyastriśa Loka ・i: Tāvatisa善見城(ぜんけんじょう)(喜見城)四天王等を従えて住むとされる、因みに忉利天は須弥山の最上階即ち世界観の中心である、因みにウパニシャッド(Upaniṣad )とは、梵語で奥義が記された即ち梵天と共にヴェーダの最重要部分を擬人化した書である。 
須弥山の最上界に於ける忉利天、意訳で三十三天世界に住み梵天と共に筆頭の地位を占めている、古代インドの口伝による聖典、リグ・ヴェーダ聖典gveda 注2に依るインドラ(因陀羅)の存在は、六道の世界に於いて対立種族の阿修羅と戦って勝利し仏門に帰依させてアーリア人の英雄から佛教の守護神に変身して登場する。
インドでは古来より梵天と共にバラモン・ヒンズーに君臨する帝王、即ち最高神である、インド最古の聖典であるリグ・ベーダ聖典gvedaには高い信仰のインドラ神(Indra)、即ちインドラの賛歌で覆い尽くされている、天の中の王者であり天帝とも呼ばれ梵天と共に早くから佛教に取り込まれている、須弥山の頂上にある帝釈宮すなわち喜見城(きけんじょう)に住む三十三天の主神である、但し釈尊の前世の頃には羅刹すなわち鬼として登場している。
仏教はバラモンの最高神を仏教を守護する「護法尊」として取り込んだ形態を採っている、四天王を部下に持ち邪神から仏法の守護が役目であるが全ての自然現象を支配する強大なパワーと医学の神とも言われる、後に密教に時代には
後に密教に時代には仏法の護法善神である十二天(注3)の最高神となる。
釈迦如来
と帝釈天との関連は釈迦が亡母・摩耶婦人の住む天界に説法に赴いた際に従っている、日本に最初に伝わった帝釈天を描いた図とされる法隆寺が所蔵する玉虫厨子に描かれている本生譚・施身聞偈図
(注1、参照)に於いても明らかなように前世からの釈迦との関連は出家当初の時代から密接であり、覚りを開く為のアシストや覚者と成った釈尊の説法に従ったとされる、また帝釈天は最も読まれている鳩摩羅什(約344413年)訳による法華経では霊鷲山に於いて釈尊の処に集まったガンジスに於ける砂の数程多勢の中に弥勒菩薩文殊菩薩観音菩薩を含む阿羅漢達と共に釈提桓因(しゃくだいかんいん)の呼称で登場している。
姿形としては空海密教請来以前は梵天と同様中国の貴人様で現されており、与願印で独鈷杵や三鈷杵を持つ、東大寺・法華堂の伝日光・月光菩薩像は帝釈天と梵天の可能性が強い、因みに金剛杵は
vajra バジュラ)神話上無敵の武器を言い、雷をイメージした独鈷杵や三鈷杵・五鈷杵、国によっては九鈷杵として表わされて何者をも打破するパワーを象徴化している。
帝釈天は密教でも重要視されて居り密号を金剛器杖
(金剛杵)と言い金剛杵即ち雷そのものでもある、十二天(注3の東方に位置して居る、胎蔵生曼荼羅の最外院に於いては・空無辺処天・無所有処天・非想天などを従えている、密号を金剛器杖と言い金剛界曼荼羅ではヒンズー神々などと共に曼荼羅の中に存在する、空海以後に伝えられた密教の帝釈天の姿形は三眼で甲冑をまとい白象に乗り金剛杵(独鈷杵)を持ち宝冠をかぶる像が多い、おなじ象騎像でも普賢菩薩との違いは甲冑と金剛杵を所持するかどうかによって区別できる。
また二天として梵天とペアー若しくは独尊として像造された例も多い。
葛飾・柴又の帝釈天「経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)」は陰暦からくる信仰に由来しており「寅さん」映画でも有名である。
帝釈天には著名な物語がある、即ち前世の釈迦の修行態度を本物か否かをテストしたと言う物語である。 

 
真言 オン シャキャラヤ ソワカ     


主な帝釈天  表内は国宝  ●印国指定重文

寺      名

仕             様

 時   代

東大寺 (法華堂)

立像 脱乾漆像 彩色 402,0cm  梵天と共に不空羂索観音の脇侍

天平時代

唐招堤寺

立像 木造彩色    188,8 cm 梵天と一対

平安時代

蓮華王院

半跏像 木造彩色   105,4 cm 梵天と一対

平安時代

 

  

  

東大寺(法華堂)  

立像 塑像彩色 切金文様  伝日光菩薩206,3cm 伝月光菩薩206,8cm  参考

天平時代 

興福寺(国宝舘) 立像 木造漆箔 玉眼 鎌倉時代    

興福寺 立像 木造彩色 切金文様 鎌倉時代   

秋篠寺 立像 頭部脱乾漆 体部木造彩色 鎌倉時代 唐招提寺金堂   東寺講堂  

清凉寺 (伝普賢菩薩)騎象 木造彩色 藤原時代 

醍醐寺 騎象 木造彩色 藤原時代

●滝山寺(岡崎) 木造彩色 105,0㎝ 鎌倉時代 運慶作 (梵天と共に観音菩薩の脇侍として  岡崎市瀧町字山籠107) 
法隆寺(奈良) 木造彩色 161,5㎝ 平安時代 (梵天と一対) 

善水寺(滋賀) 木造彩色 162,8㎝ 平安時代 (梵天と一対)

●護国院(和歌山) 木造彩色 157,0㎝ 平安時代 (梵天と一対)

●興福寺(奈良) 木造彩色 玉眼 171,5㎝ 鎌倉時代 (梵天と一対)

●興福寺(奈良) 木造彩色 玉眼 181,3㎝ 鎌倉時代 定慶作

考恩寺(大阪) 木造彩色  1710 平安時代



注1、 本生譚(ほんしょうたん)(ジャータカātaka 族の皇子が覚者となった原因は前世の行動即ち宿業に有るとしてその行動をインド説話としたもので、梵語のjātaka と言い、i語聖典内に前世物語として二十二篇五百四十七話が纏められている、宿業とは前世に於ける業を言う

547話と数は多いが、場所は祇園精舎、舞台はパーラーナシーの都、内容はガーター(梵語・gāthā)と呼ばれる()(詩歌)とその解説、等に限定される。
日本に於いては玉虫厨子の両面に描かれている、a捨身飼虎図(しゃしんしこず)・飢えた虎の親子を救う為に前世の釈迦(摩訶薩た王子)が崖から飛び込んで虎の餌になる。b施身聞偈図(せしんもんげ)・釈迦の修行中羅刹に変身した帝釈天が「諸行無常」と囁く、釈迦は羅刹に続偈の教授を願い出たところ「汝を食わせれば教える」と言う、承知した釈迦は聞いた偈(仏の言葉)を岩に刻んで身を投げたところ羅刹は帝釈天に戻って釈迦を空中で受け止めた、また象本生も著名である、水と食料を求めて森をさまよう難民達に象の屍骸がある水場を教え自分は先回りして、難民の食糧としての象の屍骸となる物語である。
また玉虫厨子には他に天王図・菩薩図・霊鷲山・草木図等が描かれている、他に天王図・菩薩図・霊鷲山・草木図等が描かれている。また玉虫厨子は飛鳥寺代の建築様式を正確に再現されており、太子一族の怨霊を鎮める願いを込めて制作された飛鳥芸術を代表する文化財である。 


注2、ヴェーダ聖典   Rgveda BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、成立の古い順に リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、゙サンヒター Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、 ブラーフマナ Brāhmanā サンヒター補助部門、 当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される、サンヒターとはヴェーダの本体部分を言うブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドは注釈・解説、思想哲学部分を言う

リグ・ヴェーダ聖典 Rgveda BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、 リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、
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゙サンヒター Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、
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゙ブラーフマナ Brāhmanā サンヒター補助部門、 
当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される。 
*
゙アーラニヤカ Aranyaka 森林書 呪文、祭義の解説

   ヴェーダ聖典に於いて最も熟成したのが、
*ウパニシャッド(梵語 奥義書)である、その思想は汎神論(はんしんろん)の発端を示している、梵我一如 (中村始仏教入門 春秋社)汎神論とはブリタニカ国際大百科事典に依れば神と存在全体 (宇宙、世界、自然) とを同一視する思想体系。両者を一元的に理解し、両者の質的対立を認めない点で有神論pantheism)とは異なる。歴史的諸宗教において、その神秘的側面を理論化する際に表われる体系化の一つの型である、たんてきに言えば総ての存在は神である、神と世界とは一体と観る宗教観、思想観と言える。
ヴェーダ聖典を読むことを許されている階層は婆羅門brāhmaaだけに限られる様である。 

 


3十二天  仏法の護法善神を言う、 ・伊舎那天(東北) ・帝釈天(東) ・火天(東南) ・焔魔天(南) ・羅刹天(西南) ・水天(西) ・風天(西北) ・毘沙門天(北) ・梵天(天上) ・地天(地中) ・日天(太陽) ・月天(月界)とあり、十二の方角を守護する役割を担う。 
十二天とは、八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る八方天に、天地の二天と日月の二天を加えて十二天としたものである陰陽道に於いて十二天将(十二神将)を呼称する者とは別尊で関係は無い。
十二天を描いた国宝作品を挙げれば
 西大寺  絹本著色  掛幅装 十二幅 平均160×134,5㎝  平安時代    ・東寺 絹本著色   六曲屏風   各130,0×42,1㎝ 鎌倉時代  ・京都国立博物館 絹本著色   掛幅装 各十二幅144,0×127,0㎝ 平安時代 が有る
十二天を描いた国宝作品を挙げれば   

西大寺        絹本著色   掛幅装 十二幅 平均160134,5㎝    平安時代  

東寺         絹本著色  六曲屏風   各130,042,1㎝        鎌倉時代  

・京都国立博物館 絹本著色  掛幅装 各十二幅144,0:127,0㎝     平安時代  

 

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最終加筆日2004年6月29日 
  1210日 2013年6月4日 2017年4月10日 6月14日 9月3日 2019年9月3日 2020年3月15日 9月5日 2021年10月28日  

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