三仏寺

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正式名称を「三徳山(みとくさん)三佛寺」と言う、俗界と隔絶した深山霊験の地を選び、役小角(注2が白雲に乗って飛来して神窟を開き建物を投げ入れたことが創建と伝えらる。
寺運は衰えていたが、 849年慈覚大師円仁が再興に寄与し釈迦如来 阿弥陀如来 大日如来の三尊像を安置した事から「浄土院美徳山三仏寺」と命名したと言う。
当時流行した末法思想に対する畏怖心から平安貴族の寄進や源頼朝・足利尊氏の帰依を受け歴代の鳥取藩主の庇護を受けた財力と、山岳信仰の行者達が深山霊谷の地に畏敬を抱いた労苦の結晶が建設に結びついたと思惟される。
本堂から急勾配な坂を登り文殊堂
(重文)・地蔵堂・鐘楼・観音堂・不動堂を過ぎると、奥の院の国宝・蔵王堂すなわち「投入堂(なげいれどう)」に辿り着く、役小角が岩の中に投入したと言う伝承から呼ばれるようになった堂宇で、ブナ原生林の急峻な斜面の窪みの中で北向きに更に小さな愛染堂(右)と並び建つ小規模な建築である、長い柱を小屋裏の雲筋違状に配置した根がらみ貫で支える懸造(注4をしている、日本最少の懸造とも言える投入堂は間口5,4m奥行き3,9m、柱はほぼ八角形に加工されて繊細な印象をかもし抱いており、軸組部分はベニガラで赤く塗り、壁面は白を塗り、垂木の先端には金色の錺金具(花菱文)に彩られている、絵画的に見たエレヴェーションは原生林の緑と調和して浄土への憧憬を充たすロケーションである。 
この優美な山陰地方最古の建築を評して日本を代表する建築家の安藤忠雄氏写真家・土門拳氏をして日本に於ける最も美しい建築の一つに指摘されている。
山岳信仰に密教を習合した修験道場の中心地で最盛期には38の堂宇があったとされる。
修験道の本尊と言える七尊の蔵王権現が安置されている、本堂に六尊、奥の院に一尊
(現在は宝物殿)、全てが重文指定を受けている、因みに三仏寺に伝来する蔵王権現は十世紀の像もあるが円小角とは時代が合致しない様である、ちなみに「権」は仮を意味し、現とは即ち仮に現れた姿すなわち仏の垂迹尊を言う、三佛寺の場合は下述の三如来の変化尊である、権の使用例をあげれば徳川家康の東照大現や徳一最澄の何れが真論か仮論(権)かを競う「三一実論争」が著名である。
三仏寺の蔵王権現等と役小角の関連であるが、正木晃氏は十世紀に遡る可能性のある像もあるが役小角とは到底時代が合わないと言う、日本霊異記に於ける役小角に関する記述に蔵王権現は出てこないのが気になると言う
修験道と言えば佛教も同様であるが、基本的には「山川草木 一切衆生 悉有仏性」である、山へ登れば六根清浄すなわち謙虚、懺悔の場所であるが、一神教の多くは山は征服の対象である、
因みに六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは人間の意識の根幹である、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)の六根を清らかにする事である。
三佛
(仏)寺は1981年新設された中国三十三観音霊場に三十一番札所として名を連ねている。  
  

天台宗         所在地 鳥取県八頭群智頭町大字三徳1010       冬季雪積状況により休館 0858-43-2666

三佛寺の文化財 
      本尊 釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来

投入堂(奥の院・蔵王堂)桁行1間梁間2間 桧皮葺 舞台造  藤原時代   投入堂棟札  愛染堂  古材43点

●蔵王権現立像 木造寄木造 漆箔 1150cm 藤原時代  

●銅鏡   線刻胎蔵曼荼羅   中台八葉院鏡像  藤原時代

観音堂

十一面観音立像 木造 1609cm 藤原時代    

蔵王権現立像(6尊)木造彩色 84,0140,7cm  藤原時代   

●地蔵堂 桁行3間梁間4間  懸造 入母屋造 桧皮葺 室町時代  

●文殊堂 桁行3間梁間4間  懸造 入母屋造 柿葺 桃山時代  

●納経堂 桁行梁間1間  春日造 柿葺 鎌倉時代  他 

 

1、投入堂の塗装は船肘木と梁の接合部から塗料が発見され建立当初の塗装である事が確認された。
  

2
役小角(えんのおずぬ)634〜不詳 

3、 蔵王権現 正確には金剛蔵王権現と言い、金剛蔵王・蔵王菩薩とも言われる、役の小角が金峰山に於いて衆生救済の為感得したと伝える魔障降伏の菩醍とされる、因みに感得とは霊能力により対象尊を出現させる呪力を言う。 
姿形は1顔3目2臂・青黒色で忿怒形をとり左手は剣印をを示し右手に三鈷杵を持つ。
伝承では役行者が吉野山に、こもった時に現れたとされるが、山岳信仰の中に於いて自然発生的な権現で垂迹尊の代表的な存在を示し、修験道に於ける象徴的存在で弥勒菩薩の化身ともされているが、金峯山寺・三尊の本地佛は釈迦如来千手観音弥勒菩薩とされご利益としては願事成就・怨敵排除などとされる。

*金剛蔵王菩薩と金剛蔵王権現に付いて、胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院、右に向かって16面に煩悩を断ち切る108臂の“金剛蔵王菩薩”が配置されている、また密教の儀軌には22面もある様子である、要するに金剛蔵王菩薩は多面多臂の菩薩である、一方修験道の本尊である蔵王権現とは像容の相違が著しい、“蔵王権現”は単面2臂であり権現の原型が菩薩説には疑問が多い様である。



日本の主な蔵王権現
総持寺   鋳銅彫像(銅鏡) 毛彫鏡像 (東京都・西新井大師)   藤原時代
金峯山寺 三尊(本尊) 木造彩色 728,0cm 615,5cm 592,5cm 桃山時代  
●金峯山寺        銅像 40,5cm 56,6cm など山頂出土品    
●奈良国立博物館    銅像 30,3cm 
広隆寺   立像  彩色 96,4cm 藤原時代
●三佛寺  七尊   木造彩色 84,0p〜140,7cm藤原時代

4、懸造(かけずくり) 山の傾斜地等に柱・梁・貫を縦横に化粧材にして構成された建築物を言い崖造りとも言われる、山岳信仰が盛んな密教系の寺院に多く作られ傾斜地に前面の縁束を伸ばして床組みを化粧で表わす。  ・清水寺本堂 ・石山寺本堂 ・東大寺二月堂 ・長谷寺本堂 ・三佛寺投入堂 ・千葉県、天台宗の笠森寺があり三佛寺を除けば観音菩薩を本尊とする堂に多い、観音菩薩は補陀落山に住むとの伝承から山の斜面に堂が建てられている。

5修験道 


                                                                                           

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最終加筆日2004723  2005115日  200718日  2008115日 2017年11月22日 2018年1月17日修正


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