平安時代は洛中に東寺と西寺以外は寺院の建立が禁じられた時代に、小霊験所や堂として存在して衆生に守護された代表に六角堂(頂法寺)と因幡堂・
正式名称は福聚山・平等寺であるが因幡堂・いなば薬師などと呼称されて京都に於いては庶民信仰の本丸であった、後白河法皇の病を平癒したとも言われ治病・安産などに霊験があり町堂(辻堂)・因幡薬師、等と親しみを籠めて呼ばれている。
因幡堂の本尊は薬師如来である、「因幡堂縁起絵巻」(平等寺本)に依れば因幡国司・橘行平により海中から感得されたと言い清凉寺 ・釈迦如来や善光寺・阿弥陀如来と共に三国伝来仏の伝承を持ち、三国伝来の日本三如来の一仏と言われているが定朝の父とも、師とも言われる康尚(注2)の作との説もある。
因幡堂は京都の町中にあり布団状の頭巾を被る特異な衣装で二重の厨子に納まる、当時の技術水準としては火災などに避難が可能な設備が施されている、街中に在るため幾度も火災にあい本堂は消滅するが、その度に創建時の本尊は緊急非難されている。
通常三国とはインド・中国(若しくは朝鮮)・日本を言うが、天竺・竜宮・日本を言う場合もある。
重文指定の仏像三尊の他に・琴・硯筐・光明真言(注4)があるが、真言密教の必須アイテムでもある光明真言(注4)は毛髪で織り込みがしてあり必見の文化財である。
本尊の薬師如来の御利益は縁結び・安産・子授け・がん封じ等多彩であり参拝者は多い。
因幡堂は十三仏霊場の7番札所であるが、・智積院 ・清凉寺 ・大報恩寺(千本釈迦堂) ・仁和寺 ・法金剛院 ・法観寺(八坂の塔) ・教王護国寺(東寺) 等の著名寺院が参加している、また洛陽三十三所観音霊場の27番札所でもある。
洛陽三十三所観音霊場と言う組織が在り歴史は古いが長期間途絶えていたが復活した、因幡堂(十一面観音)は27番札所となっている、1番、
宗派 真言宗 智山派 所在地 京都市下京区松原通烏丸東入ル因幡堂町 ℡ 075-351-7724
因幡堂の重要文化財。
●薬師如来 立像 木造 漆箔 153.0㎝ 藤原時代
●釈迦如来
立像 木造 漆箔 玉眼 76.7㎝ 鎌倉時代
●如意輪観音 坐像 木造 漆箔 玉眼 99.3㎝ 鎌倉時代
●その他 光明真言(毛髪・注4) 硯筐 琴
注1、因幡堂縁起は平等寺本や東京国立博物館本があり内容に相違がみられる。
注2、康尚 名称の記述文字、生没年齢は定かではないが源信の配下で僧籍にある仏師とされる、藤原道長に重用され1020年の法成寺・無量寿の九尊阿弥陀如来像は息子・定朝を指揮しての参加が伝えられる、仏像彫刻界を席巻した定朝様・寄木造などは父・康尚が嚆矢とも言われる。
康尚の作品の可能性が考えられる尊像
・同聚院 不動明王 平安時代
・遍照寺・十一面観音立像 右京区嵯峨広沢西
・平等寺(因幡堂)薬師如来立像 等がある。
注3、行願寺(革堂)の所在地 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17。
注4、光明真言とは総てに真言陀羅尼の中で断トツのランクにあり効験は計り知れないと言う、正式には「不空大灌頂光真言」と言い、梵字23文字から成る呪文で、智慧・慈悲・光明を願う真言(陀羅尼)で真言宗の必須アイテムである、これは不空訳「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」、菩提流志訳「不空羂索神変真言経巻二十八、灌頂真言成就品第六十八」、「毘盧遮那仏説金剛頂経光明真言儀軌」等を典拠とした真言で、これを2~3~7回聞けば一切の罪障を滅ずる事が出来ると言う。
墓や死者に光明真言を108回唱えた砂を撒く(光明真言土砂加持)と成仏が出来ると言われる。
漢字に変換した真言が 「唵 阿謨伽 尾盧左曩 訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽」。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」。
あぼきゃ=不空成就如来 べいろしゃのう=大日如来 まかぼだら=阿閦如来 まに=宝生如来 はんどま=阿弥陀如来
注5、差別とは仏教用語である、梵語のヴィシェーシャ (vezeSa)の漢訳で区別、分別で平等につながる。