鶏足寺(けいそくじ)

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己高山(こたかみさん)鶏足寺と言い、京都や延暦寺から若狭ルートで仏教文化が伝来した湖北地方に於いて天台密教が繁栄した証明の寺跡である。
廃仏毀釈以降は与志漏(よしろ)神社が統括した形態になる、境内には、()高閣(こうかく)世代閣(よしろかく)の二棟の収蔵庫と薬師堂、大日堂がある。
東大寺
大仏殿再興の勧進職を務めた行基の創建とされ常楽寺と呼んだが、最澄が鶏足寺と改称後天台密教のメッカとして栄え己高山七大寺の筆頭に位置し全盛期には荘厳な仏教文化に彩られた土地で「己高山仏教文化圏」と呼ばれている、全山に125の堂宇が存在し湖北の比叡山と言えたのではないか、己高山の山頂の寺を最澄が命名したらしく「興福寺官務牒疏(かんむちょうそ)」己高山五箇寺には・観音寺・法華寺・石道寺・高尾寺・安楽寺がある、観音寺別院に飯福寺・鶏足寺・円満寺・石道寺・法華寺・安楽寺の記述があり、これら寺院の十一面観音は最澄による自刻伝承がある。
己高山の頂上付近に位置していた鶏足寺はその後衰退する、さらに1933年に焼失して堂宇の痕跡を残すのみであるが、古橋管理組合の郷人達により己高閣全山即ち鶏足寺(けいそくじ)跡・この地の氏神興志漏(よしろ)神社・法華寺跡などから集めた仏像残闕(ざんけつ)部分が手厚く管理されている。
収集された宝物は十一面観音薬師如来 十二神将三尊(以上重文指定)等々がある、現在は・己高閣(1963年建立)・世代閣(1989年建立)・薬師堂(旧戸岩寺)等で厳重に保管されている、宝物館の一閣・己高閣には天台密教に於いては象徴的な七佛薬師像がある、創建時の延暦寺・根本中堂には己高閣と同系の七仏薬師が存在していた経緯がある。    
古仏の七佛薬師像で凡てが揃うのは鶏足寺と千葉県印旛郡の松虫寺のみで貴重な存在である、松虫寺の七仏は中尊が坐像で54.3㎝で他の六尊は立像で40.0㎝に満たないが、鶏足寺の尊像は総て立像で七仏の像高90,0 ~ 100,四国霊場第十七番の井戸寺の本尊は七仏薬師如来である。 
その他指定外ではあるが、作例が非常に少ない観音像に魚篭(びく)に魚を持った魚籃(ぎょらん)音立像 木造漆箔 160,0cm 藤原時代や石造線刻の阿弥陀如来坐像 90,0cm 鎌倉時代など貴異な像が多い、三十三体観音の一尊である魚籃観音は素朴な表情で親しく鑑賞できる、魚籃観音は馬郎婦観音と同尊といわれる、唐の陜石(きょうせき)に於いて多数の求婚者現れた素晴らしい美人で法華経興隆の為に遣わされた観音菩薩との伝承がある。
世代閣には己高山鎮守社に安置されていたと思惟され長年秘仏であった十社権現(檜像・約30.00㎝)十尊が20093月から公開されている、内訳は・日吉大宮21.6㎝ ・熊野大権現29.1㎝ ・八幡大菩薩28.0㎝ ・白山大権現30.4㎝ ・横山大明神29.4㎝ ・揵部大明神30.1㎝ ・世代大明神30.3㎝ ・大社大明神27.8㎝ ・金峯大明神33.4㎝ ・日吉十禅師29.8㎝である、通常は熊野の十二所権現が知られるが鶏足寺の場合は十所権現である。

鶏足寺の大日堂には平安時代の作と思惟される大日如来像と二天部像が安置されていた、損傷が著しく復旧が待たれていたが、大津市の勢山社に於いて大幅な復旧が行われる事になり引き取られて解体された。
なかでも大日如来は主材に欅が使われ虫害が激しく、拙劣な感触が見られる後補の跡がある、後補部分に技術的にも稚拙な部分が見られる、初期の状態を尊重しながら不適切な部分は新しい木曽檜を使用して復旧されると言う。

注1、    七仏薬師とは初期の経典には記述されていないが「薬師瑠璃光七仏本願功徳経」義浄訳(注8)・達磨笈多訳の「薬師如来本願経」に記述があり七尊が本願及び仏国土を持つとされる、七仏を個々に祀る事により願いが成就するとあり、薬師如来の光背に化佛が存在するのはこの経典の影響と言える、またこれには七仏を夫々独立形で造像すれば所願成就が叶うといい、供養すれば横死を免れると言う
七仏薬師法の起源について一説には、中国に於ける星辰思想すなわち北極星を天帝とし北斗七星の信仰説を根拠としたと言う説とも言える。
七仏薬師法の採用は天台宗のもので、日本では
円仁が嚆矢とされる、青蓮院の大法会で「熾盛光法」や・文殊菩薩を本尊として真言を修する「八字文殊法」と共にを請来した秘法である。
主に息災と安産を祈る比叡山の重要な密教修法の一つで義浄が漢訳した経典を採用しており薬師七体を祈るものであるが、東方に七尊の如来が存在し最も遠い第七の如来が薬師如来であるとされる、しかし薬師如来の分身か別尊かの確証はない、七仏薬師信仰は89世紀にかけて天台宗が藤原摂関家の安産祈願を行なってから顕著になる、但し真言宗に於いては七仏薬師に関する修法は行はれない。薬師如来の光背に七尊又は六尊の薬師如来を配置された寺に薬師寺新薬師寺醍醐寺東寺・本堂があり新薬師寺の場合は創建当初は七仏薬師が本尊であった。
七仏薬師信仰から七所薬師に対する信仰も生まれ、京都を中心に延暦寺広隆寺・珍皇寺・法雲寺・護国寺・観慶寺・平等寺を言われたが現在は言われていない。 
また唐招提寺の薬師如来の光背にも七仏薬師が存在したとされる、さらに神護寺法隆寺西円堂・醍醐寺・黒石寺(岩手県)等にも、そのこん跡が見られる、現存する七佛薬師像に松虫寺・鶏足寺(己高閣)は七尊が揃い松虫寺は重要文化財指定を受けている。
瑠璃光浄土を描く曼荼羅で本来は瑠璃光浄土変相図に薬師八大菩薩(文殊菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・弥勒菩薩・宝檀華菩薩・無尽意菩薩・薬王菩薩・薬師上菩薩)を描かれる事がある。



七仏薬師の尊名及び浄土は以下のようになる。
(1)善名称吉祥王(ぜんみょうしょうきちじょうおう)如来(東方光勝世界)            光勝国浄土
(2)宝月智厳光音自在王(ほうげつちごんこうおんじざいおう)如来(東方浄瑠璃世界)        妙宝国浄土
(3)金色宝光妙行成就(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅ)如来(東方円満香積世界)      円満香積国浄土
(4)無憂最勝吉祥(むうさいしょうきちじょう)如来(東方無憂世界)               無憂国浄土
(5)法海雷音(ほうかいらいおん)如来(東方法幢世界)                 法幢国浄土
(6)法海勝慧遊戯神通(ほうかいしょうえゆうぎじんつう)如来(東方善住宝海世界)        善住法海国浄土                  
(7)薬師瑠璃光(やくしるりこう)如来(東方光勝世界)の呼び名がある。     瑠璃光国瑠浄土

指定外   四国八十八所霊場の内徳島県の井戸寺の本尊



2、現存する七仏薬師像に松虫寺(千葉県印旛郡・天台宗)木造 坐像54,3cm 立像37,939,0cmと鶏足寺(己高閣)
90,0-100,0cmは七尊が揃う。


3、魚籃観音とは三十三観音の一尊で他に楊柳観音
(ようりゅう)・白衣観音・滝見観音・岩戸観音・水月観音等が挙げられる。
 魚籃観音を安置する寺は他に東京都港区の魚籃寺 ・千葉県松戸市の万満寺 ・三重県津市の初馬寺・鎌倉大町の別願寺、等々に存在する。

4、鶏足寺の寺名は釈尊十大弟子の一人で釈尊の示寂後教団の指導者を勤めた大迦葉が晩年には、教団すなわち僧伽(そうぎゃ)の運営を阿難陀に託して鶏足山と言う山で禅定に入りそのまま生涯を終えており禅宗の嚆矢となったが、己高山も鶏足山から銘々されたのかも知れない。 
                        

真言宗 豊山派     所在地    伊香郡木ノ本町古橋                

主な文化財        ●印国指定重文

十一面観音立像 木造 彩色 172,1cm       藤原時代  
薬師如来立像 木造漆箔 172,1cm         平安時代   
十二神将立像 三尊 木造漆箔 172,1cm     藤原時代

 七佛薬師立像(七尊) 木造90,0-100,0cm     藤原時代 


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最終加筆日20041119    2005年4月2日 2010年9月7日 2017年5月30日 2020年7月23日 

 

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