神像 肖像  本地垂迹(ほんじすいじゃく)仏)          
          

 
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日本の佛教は仏が本来の姿すなわち本地を変装(垂迹)して衆生救済にあたる、本地(ほんじ)垂迹(すいじゃく)を取り入れた為に世界に類例を見ない佛教になったと言う、(イスラム言論・小室直樹・集英社)、但しヒンドウー教の権化(ごんげ)の思想即ち、ビシュヌViṣṇuを中心として性別を問わず本地垂迹して救済に現れる現象は法華経の妙音品、観音菩薩普門品に書かれている。
表現を変えれば本地垂迹とは「眼に見えないが根本とする物体」即ち”本地”から「具体性を表す」=迹に垂れると言うことで、仏教儒教キリスト教など日本に請来されると本来の姿を変えて発達する、そして仏教は神祇(じんぎ)信仰(しんこう)すなわち日本古来の神道や怨霊信仰と、syncretisim(シンクテイシズム)習合する、習合とは神道と佛教を主体に複数の宗教を互いに排除を避けながら合体させて構成される宗教で、代表例として修験道が挙げられる、神仏習合像はわが国独自のものである、要するに阿弥陀如来観音菩薩が衆生救済を目的として仮の姿に化身avatāra・アヴァターラ)し八幡神(注4蔵王権現などに化現(けげん)すなわち垂迹するものである、これら神仏習合は渡来信仰と土着信仰、習合発生の場所、習合の過程などが複雑に交錯して結論は出ていない、本地垂迹は思想的には法華経に端を発すると小室直樹氏は言う、本地垂迹は平安時代に祭神に権現を祀り登場したのが嚆矢と考えられる、そして平安時代末には広く浸透するが反本地垂迹論が伊勢神宮を中心に繰り広げられる、因みに通常の言語で訝しい、怪しいを「怪訝(けげん)」と言うが語源は垂迹すなわち化現である、また小室氏は神道と仏教を融合し仏教を日本に興隆させたのは、神仏を習合させた本地垂迹説と、日本人の苦手な戒律を有耶無耶にした天台本覚論にあると言う。

特異な例に大日如来関連で天照大神との習合尊がある、雨宝童子で姿形としては天女形で頭上に五輪塔をおき、右手に宝棒、左手に宝珠を持ち、足下に白狸を踏む事がある、雨宝童子の関連経典に不空訳の「雨宝陀羅尼経」がある。

絵画が多いが著名な彫像に天照の十六歳と言われる、金剛証寺(伊勢市朝熊町岳)木造彩色 102.1cm藤原時代が重要文化財指定を受けている。
本来の姿
(本地)を具体的(迹)な姿に変えて現れる、すなわち観音菩薩などは神々に姿を変えて現れる、語彙を変えれば垂迹とは仮に神の姿に変身して現われる事を云う、仏・菩薩が仮姿で来臨するのを影向(ようごう)とも言う。
神像・肖像、要するに仏像以外の彫刻に肖像・神像・仮面などが存在するが、神道には偶像崇拝の慣習は無く、神像は本地垂迹(ほんちすいじゃく)説による神仏習合から仏師によって制作されてものであるが姿形は異なる、また肖像も聖徳太子や高僧など仏教関連の像が全てと言っても良く仏教彫刻の範疇に加えられる。
阿弥陀如来迎図と共に日本独自に出現し発達した神仏は本地垂迹説による神仏習合
(日本古来の神と仏を合体して信仰された)を果たして多くの信仰を集めるが日本独自に考え出された像であり経典には無い、但し異宗教間に於ける習合は日本が嚆矢ではなく中国に於いて儒教・道教・仏教が習合している。
諸仏混淆すなわちシンクレチズム
syncretismの興りは四世紀頃とも言われ鳩摩羅什訳や他の漢訳経典にも見られると井原今朝男氏は言う(中世仏教1、興山舎)
一神教に於いては垂迹神を生み出すのは不可能であるがイエズス会が来日の折に方便を駆使してマリア=卑弥呼
(天照大神)・イエス=神武天皇を垂迹させていたら後世キリスト教は日本宗教界に於いて、もう少し多数を占めていたかもしれない。
日本仏教は戒律の消滅と本地垂迹説の影響で土着信仰との摩擦を受ける事無く日本に広まりを見せたと言える、日本古来からの土着の神々は菩薩明王に変化し「不可分一体」の関係になり、双方とも信仰の対象として生き残る事となる。
世界的に見れば新しい宗教が席捲すると在来の宗教は消滅するが、特に日本に於いては輸入宗教が形を変えるため修験道の様な古来宗教も残る。
一例を挙げれば金峯山寺に安置されている蔵王権現の三尊は中尊が釈迦如来・左尊は千手観音・右尊は弥勒菩薩の本地仏とされる,もうひとつ具体例を挙げれば12世紀には四殿で構成される春日大社
興福寺と同一組織内)に五重塔が二棟あり神々から垂迹し春日四所大明神の本地仏として釈迦如来・薬師如来地蔵菩薩・観音菩薩が安置してあったと言う、本地仏と垂迹神(権化)とは時代及び流行などで入れ替わる事がある様だ。
著名な本地垂迹仏に藤原一門が篤く信仰した春日三宮の本地仏として地蔵菩薩が信仰された、これが春日地蔵曼荼羅として奈良国立博物館で所蔵されている。
僧形(そうぎょう)八幡神像 ・新羅(しんら)明神(みょうじん)
(園城寺の守護神) ・玉依姫(たまよりひめの)(みこと)像 ・蔵王権現 ・熊野権現 ・山王権現、摩多羅神(またらじん)(比叡山・真言宗の守護神) ・金毘羅 ・荒神 ・天神 ・白山妙理大権現(注6などで、垂迹神の代表例を下表で示す。
日本に存在する山岳霊地であるが佛教との関連は密であり仏名を呼称する山は多数ある、即ち *普賢岳
(長崎県)*観音岳(秋田、三重、長崎、熊本、宇部)*薬師岳(富山県)*阿弥陀岳(山梨県)*文殊岳(静岡県)*地蔵岳(山形、群馬、栃木、長野、奈良、宮崎他)*妙法岳(岐阜、埼玉他)*大菩薩峰(山梨県)*大日岳(岐阜県)*法華峰(神奈川県)等々数えきれない。


1、蔵王権現   金剛蔵王・蔵王菩薩とも言はれ、役小角が金峰山に於いて衆生救済の為感得たと伝える魔障降伏の菩醍とされる。 
姿形は1顔3目2臂・青黒色で忿怒形をとり左手は剣印を示し右手に三鈷杵を持つ。
伝承では役小角が吉野山に、こもった時に現れたとされるが、山岳信仰の中に於いて自然発生的な権現で垂迹尊の代表的な存在を示し、修験道に於ける象徴的存在で弥勒菩薩の化身ともされているが、金峯山寺・三尊の本地仏は釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩とされご利益としては願事成就・怨敵排除などとされる。 


2(えん)小角(のおずぬ) 634~不詳 金峯山寺の寺伝では634年~不詳とされるが、出生は509年~699年の間諸説があり定かでない面が多い、1799年朝廷から神変大菩醍という諡号が贈られた、役の行者とも言はれ修験道の伝説的な開祖。   
生駒山・熊野山で修行、孔雀明王の呪術を修得し大和の損城山と呼ばれた処を中心に活動した呪術者とされる、畿内各地に伝承が語られ続日本紀・日本霊異記・今昔物語・本朝神仙記など多くの資料に登場するが修験者の伝承が全てである為に詳細及び実在したかに付いては不明な点が多い。
山岳修験者達の象徴的な存在で、伝承では反権力的な呪術者で、空中を駆け巡る等の呪術を持つと言う。僧衣に袈裟をまとい長い髭を生やし錫杖を持ち五鬼を従えると言う。
役の行者を扱った書籍は多くあり、続日本(しょくにほん)()には平安時代には三宝絵詞・本朝神仙伝・今昔物語集に現れる、鎌倉時代に入り古今著聞集・私聚百因縁集・元亨釈書・教訓抄・役行者俵末秘蔵記・役君形生記・役行者講私記・役行者本記さらに江戸時代以降は歌舞伎の役行者大峯桜や、舞台や坪内逍遥の役の行者などが知られている。

3、本地垂迹  平安時代に本格化し鎌倉時代に整備された思想で「本地」(仏)根本いわゆる本来の姿から「迹」(神)すなわち具体的な姿に変化する事を言う、垂迹された神と、本地とされる仏・菩薩との関係は不定である、詳しくは神仏習合思想と言う。
垂迹尊を挙げれば *蔵王権現 *金毘羅権現 *秋葉権現 *愛宕(あたご)権現 *東照権現 *飯縄(いずな)権現 *白山権現等々が挙げられる。


4八幡神(僧形(そうぎょう)八幡神)  偶像崇拝が存在しない日本神道に最初に登場した偶像と言える、宇佐族(北九州)の氏神で五穀豊穣・銅の産出を司る神であったが、神仏習合信仰から僧形が産出され後に源氏の守護神となり武家に浸透した、僧形八幡神は東大寺の像・教王護国寺の八幡宮像・薬師寺の休岡八幡宮像が○国宝指定を受けている。

八幡神は早くから佛教と習合しているが、応神天皇の神霊とされた事から皇祖神とされる事もある。

平安時代以降源氏等の武士階級に尊崇されて、*宇佐八幡宮 *岩清水八幡宮  *鶴岡八幡宮など全国に勧請されたが渡来神との伝承もある。

本地仏は釈尊であるが垂迹神は僧形八幡神が著名で比売神、神功皇后、玉依姫命等と祀られる事がおおい、八幡神社の数は二万社とも言われて稲荷神社に次いで多い。


5、金毘羅  ()刀比(とひ)羅宮(らぐう) 根源はインダス川に住む鰐(Kumbhira クンビーラ)である、香川県の金毘羅が著名であるが本来は水難・漁業の神であり鰐すなわち蛟龍(こうりゅう)と呼ばれた。    

6、白山妙理大権現 十一面観音を本地仏としている、道元が帰国前日に「碧巌録」をコピー中に白山妙理大権現が現れて助勢したと言う伝承がある、白山は奈良時代の修験僧である泰澄に依って開山された修験道場で白山妙理大権現が安置されている、因みに白山妙理大権現の本地仏は泰澄が修行時代に念じた十一面観音と言われている。

7、修験道 山川草木総てに神が宿ると言う日本古来の山岳信仰に佛教・神道・儒教・道教・陰陽道など混在した日本独自の宗派で役行者を宗祖としている、江戸時代までは浄土真宗を除く全宗派に関与して日本佛教を支えていたが、1872年明治政府に修験道廃止令により弾圧され壊滅的なダメージを受ける、但し近年復興の兆しが見える。
修験道の主な聖地に・羽黒山・日光・高尾山・伊吹山・園城寺・聖護院・醍醐寺・金峯山寺・那智山等々が活動している。  


主な蔵王権現
総持寺(西新井大師)   鋳銅彫像(銅鏡) 毛彫鏡像 真言宗 豊山派   東京都足立区西新井
金峯山寺 三尊(本尊)  木造彩色 728,0cm 615,5cm 592,5cm 桃山時代  
●金峯山寺         銅像 40,5cm  56,6cm など山頂出土品    
●奈良国立博物館     銅像 30,3cm  
三仏寺 七尊   木造彩色 84,0cm140,7cm 藤原時代
広隆寺  立像  木造彩色 96,4cm       藤原時代 


仏像以外の国宝像

寺        名

適                       用

  時   代

 法隆寺 (聖霊院) 5尊 

 聖徳太子・山背王・殖栗王・卒未呂王・恵慈法師・坐像  木造彩色 52,-83,2cm (像内に救世観音・法華経・維摩経・勝鬘経が収められている)

 藤原時代 

                  (夢殿)

 行信僧都 坐像  脱乾漆像 彩色 89,7cm

 天平時代

                  (夢殿)

 道詮律師座像塑像 彩色 87,8cm  (五重塔内)

 平安時代

                  (五重塔内)

 塔本四面具塑像  彩色漆箔17,1?98,0cm

 天平時代

 東大寺      (開山堂)

 良弁僧正像    坐像 木造彩色 92,4cm

 藤原時代

                  (俊乗堂)

 俊乗上人     坐像 木造彩色 81,4cm

 鎌倉時代

              (八幡堂)

 僧形八幡神像坐像 木造彩色 87,1cm 秘仏105日開扉 快慶作

 鎌倉時代

                 (法華堂)

 執金剛神像    立像 塑像 彩色 173,9cm

 天平時代

 興福寺       (国宝舘)

 阿修羅像他八部衆立像 脱活乾漆彩色149,1160.3cm

 天平時代

             (国宝舘)

 十大弟子立像 (6尊)  脱活乾漆彩色  146,0154,8cm

 天平時代

               (国宝舘)

 天燈鬼77,9cm・竜燈鬼像77,3cm 立像 木造彩色 玉眼   (2尊

 鎌倉時代

                 (国宝舘)

 仏頭     銅像鍍金 98,3cm 薬師如来の項に分類

 白鳳時代

                 (東金堂)

 維摩居士像   坐像 木造彩色 88,6cm

 鎌倉時代

                (南円堂)

 法相六祖像    (6尊)   77,384,8cm     

 鎌倉時代

               (北円堂)

 無著193,0cm・世親菩薩像190,9cm立像 木造彩色 玉眼   二尊

 鎌倉時代

 唐招提寺

 鑑真和上像   坐像 脱活乾漆彩色 79,7cm

 天平時代

 薬師寺

 神功皇后像   座像 木造彩色   33,9cm

 平安時代

  

 仲津姫命像   坐像 木造彩色   36,8cm 

 平安時代

 

 僧形八幡神像  坐像 木造彩色   38,8cm

 平安時代

 岡 寺

 義淵僧正像   坐像 木心乾漆 彩色 93,0cm

 藤原時代

 蓮華王院      2尊

 風神123,0cm・雷神105,0cm 立像 木造彩色 玉眼

 鎌倉時代

                   28尊

 二十八部衆(詳細は千手観音の項)立像 木造彩色

 鎌倉時代

 長谷寺

 法華説相図   銅像 H83,3W75,0cm

 白鳳時代

 東 寺               2尊

 僧形八幡神像・二女神 坐像 木造彩色109,0113,5cm

 平安時代

 平等院

 天蓋木造(?漆螺鈿方蓋・宝相華透彫円蓋)きゅうしつ?漆とは漆を塗る事

 藤原時代

 園城寺

 智証大師坐像(御廟大師)木造彩色 85,1cm

 藤原時代

 

 智証大師坐像(御骨大師)木造彩色 87,0 cm

 藤原時代

 

 新羅明神坐像 木造彩色 78,1 cm

 藤原時代

 吉野水分神社

 玉依姫命坐像 木造彩色 89,5cm

 平安時代

 中宮寺

 天寿国繍帳 (寺院概説参照) 

 飛鳥時代  

 熊野速玉神社    

 熊野速玉 夫須美大神 家津御子 国常立命  坐像  2005318日文化審議会答申  

 平安時代  

 



                
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 神仏習合論加筆20111018日 2016年5月29日 2017年9月23 

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